2010年12月11日
遺族同士
今回は銀行の駐車場で 「あ~〇〇さん
」と 声をかけられました。
でも今回は 買い物先のように硬直せず、 すぐ 「あ~〇〇ちゃん」と 近付きました
一回り以上年下の彼女は 10代の時 お母さんを亡くしているからです・・・
主人が亡くなって間もなく 玄関にお花が置いてありました
彼女からでした。簡単な手紙があったか・・・お礼のメールを入れても それきりでした。
「出先で声かけられるの辛いんだ・・・そっとしておいてほしいのに・・・」っということを話したら
「分かる~ もう ほっといてほしいよね。 私 身内を亡くす辛さが 想像していたより 12倍辛いってあの時分かったの。二年ぐらいは辛くて辛くて・・・。ほんと 辛いよね~ 」
共通の知人が 何人か ご主人を亡くされていて その話題になり
「ご主人亡くした〇〇さんは はっきりしてるから 名前だすと直ぐ言わないで!って返してきますよ。10年経ってもだめっていう人もいるし・・・・」
まだまだ主人の名前を聞かない週はありません
心の奥で ぐっと 頑張っている自分がいます
彼女の話を聞いて 自分だけじゃないんだと 慰められました

でも今回は 買い物先のように硬直せず、 すぐ 「あ~〇〇ちゃん」と 近付きました

一回り以上年下の彼女は 10代の時 お母さんを亡くしているからです・・・
主人が亡くなって間もなく 玄関にお花が置いてありました

「出先で声かけられるの辛いんだ・・・そっとしておいてほしいのに・・・」っということを話したら
「分かる~ もう ほっといてほしいよね。 私 身内を亡くす辛さが 想像していたより 12倍辛いってあの時分かったの。二年ぐらいは辛くて辛くて・・・。ほんと 辛いよね~ 」
共通の知人が 何人か ご主人を亡くされていて その話題になり
「ご主人亡くした〇〇さんは はっきりしてるから 名前だすと直ぐ言わないで!って返してきますよ。10年経ってもだめっていう人もいるし・・・・」
まだまだ主人の名前を聞かない週はありません

心の奥で ぐっと 頑張っている自分がいます

彼女の話を聞いて 自分だけじゃないんだと 慰められました

2010年12月11日
父の形見の車椅子
4度目のショートステイに備え 自分の父が使った車椅子を 実家から運んでいました。
お父さんが亡くなったのは 30年前
主人の母は 何も捨てられずにいたのです
三度目のショートスティを出る時 「今度来る時は車椅子だよ
」と スタッフに言っていたそうです。
「もう家での風呂は 無理だ・・・
」と言い始めたのはやはり四度目のスティの前あたり・・・
立ち上がりが 工夫してはいたものの 私の引き上げの力を借りるようになっていました。
「1・2・3~ よっと・・・」 声をかけながら 浴槽から 引き上げていました。
着替えの時は 両手が使えず 何かにつかまれないため 頭を壁に押し付けて いつも支えにしていました。ズボンも 足が引っかからないように 片方ずつギャザーをたくさん寄せて 慎重にはかせるサポートをしました。あれで倒れていたら 骨折してたでしょう・・・
。肩は自然脱臼していましたし・・・
でも筋肉の貯金があったからこそ ここまで もったわけです
細身でも 筋力はありました。なんせ体育会人間ですし・・・あの大きなテレビを 一人で運んだ人ですから
「家での介護は もう無理だ・・・ 〇〇(私の名)壊しちゃう
」
主人は この先自分がどうなるか いつも予測していました。
「ほら 予想通りだろう 」 日に日に動かなくなる身体に 真っ直ぐに向き合っていました
( 亡くなる一ヶ月前の出来事です )
お父さんが亡くなったのは 30年前


三度目のショートスティを出る時 「今度来る時は車椅子だよ

「もう家での風呂は 無理だ・・・

立ち上がりが 工夫してはいたものの 私の引き上げの力を借りるようになっていました。
「1・2・3~ よっと・・・」 声をかけながら 浴槽から 引き上げていました。
着替えの時は 両手が使えず 何かにつかまれないため 頭を壁に押し付けて いつも支えにしていました。ズボンも 足が引っかからないように 片方ずつギャザーをたくさん寄せて 慎重にはかせるサポートをしました。あれで倒れていたら 骨折してたでしょう・・・


でも筋肉の貯金があったからこそ ここまで もったわけです

「家での介護は もう無理だ・・・ 〇〇(私の名)壊しちゃう

主人は この先自分がどうなるか いつも予測していました。
「ほら 予想通りだろう 」 日に日に動かなくなる身体に 真っ直ぐに向き合っていました

( 亡くなる一ヶ月前の出来事です )