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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2018年01月17日

障害者施設訪問、支援者支援



障害者施設に足を運ぶ機会がありました。
話しの流れから
『私、仕事柄、身体動かしているから、毎晩熟睡なんです』
と言った瞬間『え!?』飛び付くような眼差しびっくり

眠れない方々が多いらしい(--;)
薬を常用してる方がほとんどとか。
運動療法はメンタルケアにも睡眠障害にも有効で、
医学的にその効果が認められていますぐー

手を差し伸べる場所はこんな所ににもあったのですね。
必要とされるところに行くことは本望!と熱い思いがこみ上げて来ました。

そして、障害者本人でなく、それを支える支援者支援も必要であること!
まさに!私自身が経験して来た介護、障害者支援。
支援者が元気でいないと支えられないじゃないですか…。
身を持って痛感しています。

家族の皆さん、一人で抱え込まないで下さいぱー
支援者を労り、手を差し伸べてくれる専門家、仲間はたくさんいます笑
  


2011年06月18日

在宅介護 松井さん家族最後の一週間

大分前に保存していたブログです。

忙しい仕事前の時間、「あさイチ」(NHK)にくぎ付けになりました。
掃除洗濯を後回しにしても見るべきだぐーと思い、席に座りました。

末期がんの父(松井さん)の在宅介護を決めた 三人の子供達。でも現実は不安が付きまとい それを訪問医、ケアマネ、ヘルパーさんの連携・協力で乗り切り、自宅で看取ったドキュメント。ご臨終の姿まで 放送されました汗

娘さんとお父さん(松井さん)が ささいなことで喧嘩になり その仲裁にはいるケアマネージャー
(家もあったな~ 娘と父バトル怒

力が衰えてもなるべく自力で動こうとする松井さん 40分もかかって自力でお風呂からでたシーン
(主人も自力でよく頑張ったな~ 鍵をあけるのに1時間 上着着るのに1時間 ズボンあげるのに何十分・・・etc )

夜中 またお父さんが倒れたら・・・それに気付かずにいる子供たちの不安
(私も留守中 倒れて怪我したらどうしようって考えたな~)

もしもの時病院なら・・・と病院に入れたほうがいいのではないかという迷い
(我が家は 最後の2か月は施設を行ったり来たり それでも在宅介護はきつかったな~)

でも危険が伴うとしても お父さんは家にいることを望み また子供たちもそれを望んだわけで・・・
訪問医とご家族の こんなジョーク交じりの会話の場面に驚きましたびっくり

「どうする?松井さん・・・家で倒れて気づかれなかったら汗・・・ 松井さん それでもいいよね~笑

*家にいたいという気持ちを尊重する訪問医

 「それでいい でも倒れたのが便所の前じゃな~笑(ジョーク) 」

こんな冗談を ご本人が言ってたのです。
(まるで 家の主人のようだわ 最後までジョーク飛ばしてた それも介護福祉士のスタッフの皆さんまで楽しんでて 明るい施設生活でした)

松井さんの慰霊の写真を選ぶ場面までありました家

「これが1番 江戸っ子らしいグッド
(なんという 拘りグッド
死を前にしても こんな拘りを明るく語る松井さん笑

こんなゆとりがあるのは 悟り? 本人の性格?生き方?人生論??

訪問医のドクターの言葉にはっとしましたびっくり
「薬で痛みを取ってあげるから 気持ちのゆとりが生まれる」(そうか・・・薬を避けるだけでなく 痛みを取ってあげることが大切なんだ・・・)
(主人は 痛がってたな・・・ 薬は最善だっただろうか?)

お父さんは亡くなる前日の夜 お刺身を食べていたそうですにこにこ次の日はずっと眠ったまま起きませんでした。
訪問医が診察し「臨死期」であることが分かり 眠るように息を引き取りました。

松井さんが 静かに眠ったまま亡くなる様子はとても不思議でした。

主人が夢見てた最期だ・・・ 昏睡状態になり眠るように意識がなくなり 死んでいく・・・

今思えば 主人の臨死期は あの薬が効き出した時間から?息を引き取るまでの たった数時間 
「楽になった?」という 私の言葉に こくりを頷き それっきり・・・


http://m-4f35237d73b00204-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-83cb.html(参考)  


Posted by マリン at 23:44Comments(0)介護

2011年01月02日

動物の癒し



















娘の写メにこんな画像がありました(T_T)   12/23 18:40 とありました。
このハムちゃんはまだ赤ちゃんだそうです。



主人は私達の留守中、部屋の隣にいる、娘が飼っているハムスターをよく観察していました。ハムスターは当時何匹いたか?出産もしたので5.6匹ではきかなかったかも…。動物好きの主人に安らぎを与えたのは言うまでもありません

「みてごらん。この○○はボーロ立って抱えて食べるんだよ 可愛くてさ~笑
「この○○と○○は喧嘩するから離さないとダメだぞ。離したくても手が動かねーから、出来ねぇんだよバッド
私が部屋を覗くと、よく目を閉じたまま話してくれました。目を開けてるのが辛い時期がーん…

猫も二匹いましたが、寝ている主人に乗ったら、命とりびっくりタオルケットでさえ重苦しいといい、軽い羽毛布団と夏用の薄い肌掛け布団を使っていました。

でも不思議、4キロくらいの猫たちが、当時主人の布団に乗ったことは一度もありません。わかっていたのかな?膝の上にたまに乗ることがあったくらいです。


  


Posted by マリン at 20:07Comments(0)介護

2010年12月16日

USENの取り付け 

つい最近まで 娘の部屋に USENをいれていました。贅沢・・・がーん…

ただ 私のほうが仕事で使うため 移動走る 無事にスピーカーとつなぎ JPOPが流れ出しました。
 ところが一夜にして聴けなくなり バタバタ原因を探りました。(また私なんかやった汗??)

考えてみると ベランダ掃除をしてから 聴けなくなりました。  娘に聞くと・・・

アンテナの微妙な角度が原因と 娘のほうがよく知っていましたグッド

「あれね パパが腕動かないから 下で持っててくれて 私が頑張ってネジ締めたんだよ」

そう 腕の動かないパパを手伝って 娘がベランダに アンテナを設置。

娘の 思い出の作業 思い出のアンテナですにこにこ

あのころ よく パパの腕代わりになり よくお手伝いしました・・・家

娘は いい相棒だったと思います晴れ
   


Posted by マリン at 21:07Comments(0)介護

2010年12月11日

父の形見の車椅子 

4度目のショートステイに備え 自分の父が使った車椅子を 実家から運んでいました。
お父さんが亡くなったのは 30年前汗主人の母は 何も捨てられずにいたのですがーん… 
三度目のショートスティを出る時 「今度来る時は車椅子だよ笑」と スタッフに言っていたそうです。

 「もう家での風呂は 無理だ・・・バッド」と言い始めたのはやはり四度目のスティの前あたり・・・
立ち上がりが 工夫してはいたものの 私の引き上げの力を借りるようになっていました。
「1・2・3~ よっと・・・」 声をかけながら 浴槽から 引き上げていました。

着替えの時は 両手が使えず 何かにつかまれないため 頭を壁に押し付けて いつも支えにしていました。ズボンも 足が引っかからないように 片方ずつギャザーをたくさん寄せて 慎重にはかせるサポートをしました。あれで倒れていたら 骨折してたでしょう・・・汗。肩は自然脱臼していましたし・・・汗

でも筋肉の貯金があったからこそ ここまで もったわけですちょき細身でも 筋力はありました。なんせ体育会人間ですし・・・あの大きなテレビを 一人で運んだ人ですから

「家での介護は もう無理だ・・・ 〇〇(私の名)壊しちゃうバッド

主人は この先自分がどうなるか いつも予測していました。

「ほら 予想通りだろう 」 日に日に動かなくなる身体に 真っ直ぐに向き合っていました家
 

 ( 亡くなる一ヶ月前の出来事です ) 

  


Posted by マリン at 19:50Comments(0)介護

2010年11月19日

心電図異常とストレス

主人が亡くなる 1ヶ月前に 健康診断を受けに行った私でした。心電図異常でひっかかりました汗
PQ短縮・・・これなんだっけ?」 心電図の勉強をしていましたが すっかり忘れていた私。
「大丈夫」 主人はちゃんと覚えていて 苦しいのに 私に説明を始めました。

身体は正直ですね。つまりストレスによる不整脈でした・・・汗

睡眠が足りなかったはずなのに よく朝から晩まで動いていたな~と 今振り返り感心しています。常にON状態OFFになるまで 深夜お酒を飲み その量が日に日に増え 少々自分自身の身体を心配したものです。そのお酒の影響か? HbA1cがガイドラインを少々超えて出ました。(肝機能は大丈夫で一安心)また 人生の中で一番痩せたのが この介護中で もちろん痩せすぎで指摘あり。健康体の私でしたが 40代の身体で オーバーワーク?? いいえ 肉体的にはまだまだ疲れは感じてなく 精神的疲れは 自分でもずっしりと感じていましたがーん…

娘と二人 互いの辛さをよく慰めあいました家
「ママってすごい 感心する・・・。 私は無理・・・」
そんな娘の言葉が出たのは当然でした。 16才の純粋な娘には とても納得できないことがありました。
私にも おそらく娘以上に複雑な思いがたくさんあったかと思います。でも 今どうこう言う状況でないと 
とにかく切り替えるしかないと思いましたぐーそんなエネルギーをかなり使いましたがーん…
「今 一番辛いのはパパだから・・・。 頑張れるのはママ達だから・・・辛いけど 頑張ろう」
そんな言葉をよく力強く 言っていましたぐー
本人の辛さとは 比べ物にならないかとは思いますが 我々なりに 辛いものは辛かったですバッド 
辛かったです・・・
    

  


Posted by マリン at 00:51Comments(0)介護

2010年11月04日

モルヒネの問題2 最期の記録

主人の容体が急変した日の記録を眺めました。しみじみ眺めるとその日の朝は
SpO2 91%(前日まで 96%~94%)  体温35.8 (前日は36.7) 
 脈拍60~70拍ぐらいが この日は101拍。   
血圧126/86・・・もともと血圧の低い人が施設利用の記録から やや高めであったことが分かりました。
この日は確実に 数値が異常でしたがーん…看護士さんたちはもしかしたら 気付いていたのかも・・・死期が近いことを・・・。私はこのノートの記録にはっとしたのは 少し前のことでした。
この日の夜中にはもう 返らぬ人になっていました。

朝10時ごろ苦しいとのことで 酸素をつけたそうで 私がかけつけた時は 「余計苦しい」と酸素を外していました。

昼過ぎて 喋ることも 片言がやっとになりました。
苦しい 熱い 寒いの繰り返し・・・ 焼けるように背中が熱いと
数分刻みで 布団をかけたり うちわで扇いだりが始まりました。

「もう良いだろう・・・」

モルヒネ 頼む・・」

もう耐えるのに限界が来たようでした。

ただモルヒネは この施設にはなく 午後 コントミンという 点滴が始まりました。

「ダメだ 全然効かない」

モルヒネ 使う」

施設内はバタバタと してきました。 

私が呼ばれ モルヒネはそう簡単に出せる薬ではないので 病院側とこれから交渉すると説明を受けました。

施設の目の前に 病院がありました。

数時間過ぎ やっと回答が来るまで

「まだか?」何度も 要求がありました。

「熱い」 「寒い」 「まだか」 「効かない」 その繰り返しでした。

4時ころ 娘が学校から タクシーでかけつけ・・・主人の母親がかけつけ・・・ 私の母がかけつけ・・・

私がやっと ナースステーションに呼ばれた時は もう暗くなっていました。 

医師 「やはり この施設ではモルヒネは使えないんです」
私   「もう楽になりたいって 本人も言っています。先生楽にさせてあげて下さい」
医師 「・・・・それに似たような 薬を今から使います」

そう言って 私が署名にサインをし 看護士さんが 哀れな顔つきで 主人の点滴に ホリゾンという薬を入れ始めました。

少し経つと 眠ったように 規則正しい 呼吸の音だけが聞こえだしました。

「どう?楽になった?」

「・・・」  言葉はなく コクリとうなづきました。



こうなる前に 施設側がモルヒネを準備しておけば ここまで主人は苦しまずに済んだことを 先日の施設訪問で知りました。

でも 仕方ないですよ・・・。毅然と モルヒネは使わないと 言い張っていたのは主人なんですから・・・

今後の課題は その時はそうでも 使いたくなる時がくるかもしれないという想定で 準備しておくことでしょうか??

 


   


Posted by マリン at 22:03Comments(0)介護

2010年08月29日

 「遺漏を拒否」 読売新聞記事

読売新聞の医療ルネサンス 「遺漏」という文字に 引きつけられました。 
(「平穏死を考える」 8/24 25 掲載)
  主人が選択したのが「平穏死」だったのね・・・  遺漏をつけない選択は 主人ばかりでないのね・・・と 今回は私が勇気付けられました。

人口呼吸器の問題は読んでいても 遺漏の選択についての記事を読んだのは初めてでした。人口呼吸器の問題はそれは大変なことだと ケアマネさんから セカンドオピニオンのドクターから詳しく説明はあっても 遺漏の説明はそれほどなかった現状汗。 

「 遺漏 呼吸が大丈夫なうちに つけましょうか?  」
「 だんだん食べられなったら 遺漏を使って 季節のものだけでも 口から食べて楽しむことも出来ます 」
そんな感じでした。 いまいち 何と言っていいのか・・・遺漏の知識も無く 主人もすっきりしない感じでした。

それが・・・2月の初めに そのドクターを訪ねた時は・・・ 既に呼吸も辛くなってきていて・・・
「 あららら・・・ 早いね。 遺漏 つけましょうか。 この辺だと 〇〇病院で出来るけど・・ ・」
「 先生・・・遺漏 付けない! 」(キッパリ)
「 え?付けないの? 」
「 うん・・・呼吸器も付けない! 」(キッパリ)
「 まだ若いんだから 付けた方がいいと思うけど・・・ 」
「 うん・・・ 付けない。自然でいいにこにこ(笑) 動物はたべられなくなったら死ぬ・・・。それでいい。うちの家内も 子供を産む時 点滴も薬も使わなかった。 」(穏やかでした)

そう 私の出産は 総合病院での 薬漬け機械的なお産に納得出来ず ぎりぎりで転院し 開業助産婦さんに委ねたという出と産ストーリーもありました。(後ほど)
  
そのドクターと初めて 二人で訪ねたあの時は 
「 私も最近 子供が生まれて・・・もしそうなったら 子供の成長を見たい 生きたいと思うだろうなって考えました 」 と話されていましたから きっと このドクターは 呼吸器を付けて延命を望むのだろうと思っていたのですが・・・。 診察を終えるころだったか・・・?私が一人訪ねた時だったか・・・
 「個人的な話しすると・・・私も そうなったら 付けないと思うね」 と ポロリ・・・びっくり
そのドクターの一言には 深い深い 我々では計り知れない 思いがあったはずです。


主人の選択は 人口吸器も遺漏もつけない という選択でした。 機械で生かされる 誰かの世話になりながら生きるのは 「 俺にとって屈辱だ。耐えられない 」とも 言っていました。私が想像する以上のプライドを持っていました。亡くなる数日前 「 オムツをつけるくらいなら その前に死にたい 」と穏やかな口調で私に洩らしていました・・・ 

自分のポリシーに 揺らがない人でした家
 
 

   


Posted by マリン at 15:33Comments(0)介護

2010年08月04日

12月のガスもれ事件  介護を振り返り 

キッチンに入るとガス臭い汗警報機も時々なる汗汗
夫は「 そういえば鳴ってたかも(ケロリ) 」というくらいでした。(おいおい・・・がーん…
朝起きたら、やはりガスの匂い・・・汗 汗 汗
私は鼻が利くせいか 敏感に感知ぐー そして やはり 警報機がなりました~汗走る
 
ガス会社の方に来てもらい判明したのは・・・
閉めっぱなしの使っていない予備の元栓が開いてて(元栓2つあり)、その元栓が壊れて少しずつもれていたことが判明びっくり

どうやら、私の不在中、ヘルパーさんが開けてしまったようです汗メインの元栓の場所に 張り紙はしたのですが・・・下手したら 家が吹っ飛ぶところでした家バッド

でも気づいてよかったグッド私としては あちこち何がどこにあるか 扉と引き出しごとに 張り紙を張り 安心していたのですが甘かったようです。 

もちろん事業所の方にもまた報告し、互いに予期せぬ問題に 勉強させられました。




  


Posted by マリン at 23:57Comments(0)介護

2010年08月04日

初めてのヘルパーさん (介護を振り返り)

私の忙しさに夫が心配し また自分の両手の使えない現状に プライドを捨て ヘルパーさんが昼食作りに入るようになった まだ間もないころの話しです。

ヘルパーさんの派遣は 先日契約した介護事業所Aから 私たちの住む近隣の事業所Bに依頼があり そこからの派遣でした。B事業所の所長は偶然 私のPTA関係(娘の同級生のお父さん)の知人で 主人も良く知る人でした。主人と年も同じくらいで お世話になる話をした時 それはそれは知人のほうが神妙がーん…な表情であったのを 覚えています。

食事の介助は 2名ペアで来て下さるのですが いつも同じ人とは限りませんでした。
主人もかなり緊張もしたようですが 仕事柄 自分にひきつけるのは それは上手な人でしたから
あまり心配はしませんでした。

二回目ぐらいに?こんな問題がありました。初めて訪れたヘルパーさんが 我が家の玄関に入るなり「 私だめ!入れない! なんで言ってくれなかったの? 」と 玄関先でペアの方と言い合い?そう・・・我が家で飼っていた 人懐こい愛猫が玄関にお出迎え・・・。 その方 猫アレルギーだったのですがーん…さすがに 主人も気分を害していました。玄関先で そんな言い合いして欲しくないぷんぷんと・・・「職場教育がなってないぷんぷん」って・・・

おまけに「 時間です 時間です 」と 契約時間が終わるころ(1時間半)になると 携帯が鳴り出すヘルパーさんびっくり 主人も唖然としたそうですがーん… これって いい気分しないですよね・・・バッド

主人も いつもなら激怒しクレームを訴えるところ 知人ということもあり 事業所を立ち上げたばかりでもありましたし 笑い話にして こんな問題があったことを伝えてました。まさか 動物アレルギーの問題は 予想外だったかもしれません。終了時間のあの煩わしいお知らせ音も(時間です 時間です) 知人もビックリしていました汗「注意しておきますね」って。

でもこうして 意見しながら 介護される側が 気持ちよいサービス受けられようになれば幸いです。
事業所側も 細かな配慮ができる事業所として スタッフの教育の向上が成されることと思います。

そんなわけで「時間です」音は 無くなり 猫アレルギーのヘルパーさんは 来なくなりました家汗

この後 恐ろしい問題が・・・・




      


Posted by マリン at 15:47Comments(0)介護

2010年08月02日

ケアマネは哲学を悟る (介護を振り返る)

介護事業の仕事もしている関係で知人から ケアマネジャーさんを紹介して頂く話がでた時・・・ 
「 ケアマネは実力だけでなく 介護を受ける人の哲学も理解できないとぐー 」・・・この言葉が 胸にグッと来ました。

我々夫婦には 強い拘りと信念がありました。 結婚した時からでなく する前からかな・・・?互いに似た者同士が出会い 1ヶ月で結婚を決めた理由のひとつにこれらの似た価値観がありました。
「 もし死んだ時は葬式はしない。静かに密葬 」「 儀式に拘らない 」
「 もし機械で生きる選択を迫られた時は 延命はしない 」「 もし死んだら 臓器を提供する 」
「 輸血はしない 」「 医療に頼らず 自然治癒力を重視する 」・・・などなど 

 このALSという難病で 我々が決意しなければならないことは 「人口呼吸器」を付けるか付けないかでした。新聞でも度々目にしますが・・・シビアな選択でした。

この病気がどういう結末になるかは 順番は不明ながら覚悟をしていましたから
「 施設に行く 」 「 人口呼吸器はつけない 」と、きっぱり決めていた我々でした。
まだ呼吸器の現実を知らない娘や、主人の実家の家族から「つけて生きて欲しい」と言われ 迷った時期もありますが・・・  

延命の選択以外にも 我々の複雑な夫婦事情・家庭環境 仕事柄?医療への対抗心 夫の性格汗  進行も速いゆえ 複雑な我々を理解できる 巧みなケアマネジャーぐーが私たちには必要でした!

さすが知人でした。出会ったのは(「10月20日 介護事業所へ」を参照)大学病院勤務経験のあるもと看護婦で 医療に詳しく テキパキ機敏に仕事を進める 心強いMさんでした。全国で7千人という数少ないALS・・・ 医療現場を知るMさんだからこそ 手際よく介護プランが決まり 安らかに看取るまで漕ぎ着けたと思わずにいられませんぐー 
連絡が滞ったこともなく 事細かに 何度も連絡を取り 今必要な事 その後必要な事 病気の進行を先読みしながら 準備を整えて行きました。その傍らで私も 先々を予測し介護資料を読み これはどうなのか?夫はサービスをうけられるのか?と 質疑をどんどん出しました。家族に負担が増すことは 目に見えていたので とにかく頼ってばかりでなく先読みし行動しました。

そして 現実をはっきりと伝えてくれるMさんは 我々の理想でもありました。「はっきりしててごめんなさいね汗」といいなが言いにくい話もストレートに語ってくれました。「我々もはっきり言われるの大丈夫ですからにこにこ」と 言われたことを受け止め ストレートに返事を返すという スムーズなやり取りが出来ました。 お陰で介護プランもスムーズに決まりました。ズバリ言われてめげる様な我々ではありませんでした。ここのように 遠慮なく率直に話しあえたことは この病気の進行の速さに飲み込まれないで 毅然と立つ力となりました

でもソフトな語り方でないと めげてしまうタイプの方は汗 そのようなケアマネージャーさんがいいでしょうね・・・ぱー 相性は大切ですグッド     


Posted by マリン at 08:28Comments(0)介護

2009年12月10日

ヘルパーさん頼みました

なかなか、この決断に至るまで時間がかかりました。

人一倍プライドの高い夫が、他人にお願いするわけですから・・・がーん…

自分から「ヘルパー入れるか・・・」そう私に言われたときは、おどろきでしたびっくり

自分の出来る限界を感じたか、仕事に追われている私のことを気遣ってか??

よほどのことです。

仕事の合間の、食事補助、お風呂・・・リハビリ・・・

確かに、毎日が時間に追われて過ぎて、娘もテストやらなんやらで、

「もう疲れた・・・」と意思表示あり。


まだまだ、これからなんだけど・・・、早期予防グッドという点では、私が娘を気遣わないと・・・

そんな自分も、この状態では、まずいと思いはじめました。

いい機会かも・・・











  


Posted by マリン at 22:43Comments(2)介護

2009年12月03日

 訪問リハが始まりました 12月1日

訪問リハがやっと始まりました。やっとです。夏ごろから希望していました・・・

もっと早くに始めたかったのに、市役所側でサービス適応外と言われていましたバッド

先日ケアマネさんに聞いたら  「え?使えますよ。特定疾患ですから…」

あれこれ、市役所側の知識不足で、振り回された感じですがーん…

本人が利用したかったのは、ヘルパーの生活介助でなく、一番は痛みをとるためのリハビリでした。

本人も、自分なりに努力し、ほぐしていましたが、なんせ左手も日々低下・・・限界がありました。

でも本人なりに研究し、浮腫みも自分で取れるようにしたなど・・・職員の皆さんが感心していました。

普通の人なら出来ないでしょう。○○さんだからこそ出来たこと・・・・と。

今まで鍛えた筋力と、仕事柄の知識で自分を救っている感じです。


家族介護の時間も、ほぐす時間も増え、我々の疲れも心配になり始めましたがーん…

私は意思表示して、バランス取るよう、本人とも話しましたが、娘はそうは行かず・・・

背負い過ぎず乗り切ろうと、話しました。

そんなこんなで11月はあっという間でした・・・。




  


Posted by マリン at 22:11Comments(0)介護

2009年11月16日

介護事業所選び

この病気は、「訪問看護」のある所ということで、事業所が限定されます。

知人の丁寧なアドバイスもあり、お隣の市町村の事業所と先日契約しました!

なんせ地元には「訪問看護」受けられる事業所がないのです汗

でもその他のサービスは地元事業所でも受けられるそうで、契約したケアマネージャーが中心で、手配は行ってくれるそうです走る

今までの人と人とのつながりは、こんな時、不思議と導き?ご縁?があるもので

今日は、介護事業所を設立した知人(PTA活動で長年つながりのあった)の訪問を受けました。

なにかとお世話になっていた知人のほうが、神妙な表情がーん…であったような・・・?


これからお世話になります。







  


Posted by マリン at 23:02Comments(0)介護

2009年11月13日

役場の4課、5課、6課、渡り歩き 11月10日

社会福祉課、介護福祉課、国民年金課、児童福祉課、申請書類がそれぞれあり、あたふた走る

提出用診断書も、各課により書式が違い、病院へ行くエネルギーもかなり使います。

失敗あり!  障害年金を申請しようと診断書とったら、初診日から1年6ヶ月過ぎなければ申請不可・・・

その説明が市役所側からも抜け、我々も医師もそれに気付かず、診断書代損失がーん…

市の職員の説明不足は、これだけではありませんでしたバッド

安心していられない現実であると思いました。

我々も分からないからと行政に頼り過ぎず、十分注意して、文書を読み、念を押す必要があります!








  


Posted by マリン at 00:43Comments(0)介護

2009年11月12日

100万人に1人の「家族性ALS」と判明

6月の遺伝子検査では陰性と言われていましたが、

100万人に1人・・・ALSの中でも5%の「家族性ALS」と主治医から報告あり汗

さらにその中でも20%かの「・・・?」とか・・・。   宝くじならうれしいけど・・・汗

夫の身体を調べたいとのお話もありました。

J大に、同じ遺伝子の型の女性がいたそうです。

まさか??だれか・・・いとこ??(ALS家系の父方のいとこが4人います)

ALSでなくなった夫の叔父様には、子供が2人いました。

付き合いが途絶えていた間に、行方が分からなくなってしまい、気になっていました。

役場に聞いても、直系家族以外、情報は教えられないと言われました。

分けありの複雑な夫の親戚関係ゆえに、調べる方法に悩みますがーん…

  


Posted by マリン at 15:57Comments(0)介護

2009年10月20日

10月20日 介護事業所へ

ALSであれば、訪問介護が必要・・・であれば対応できるのはここ・・・と紹介され、

ある事業所の、看護師でもあるケアマネージャーさんとお会いしてきましたぐー

介護保険・事業所の利用の仕方、身体障害者のサービス、いろいろ教えて頂きました。

ただ現状、まだ要支援か、要介護になるかは不明・・・。

検査結果を待ちつつ、やはり呼吸器を付けるのか付けないのか、決めておいたほうがよいと

アドバイスありました。

付けても付けなくても、家族の介護は大変でバッド付ければますます大変バッドバッド・・・

施設は、受け入れてくれるところも少なく、安易には入れない現状

病院も空きがあれば入れても、継続入院の保障はなし。呼吸器を付ければ、在宅介護が基本と・・・


今日は、我々の考えが、安易であること、痛感しました。

無知な我々は、ALS介護経験者と話す機会を設けたほうが、よさそうです。

近くに若干いるそうですが・・・汗








  


Posted by マリン at 22:17Comments(0)介護