2010年06月25日
本籍の転籍 (介護中の出来事)
密葬の後は とにかく目の回る 遺族の手続きが待っていました。
正に書類の山崩し開始
思い出に浸る余裕はありませんでした。
何回、何部、戸籍謄本・印鑑証明・住民票を取りに役場に出向いたことでしょう
亡くなる1ヶ月前、 本籍を主人の実家から持ち家
の住所地に転籍しておきました。
でなければ 遠方に取りに行けないため いちいち小為替を同封して郵送してもらうしかありません。
この時点で転籍しておいて それは助かりました。
ただ引っ越す度に本籍転籍はするものではありません
滅多に戸籍なんて取りませんが、
相続関係では 前本籍の分全て必要になります。我々でさえ前本籍地で3部(改正などあり)、
現在の本籍で1部・・・必要でした。 改めて 「本籍」と「戸籍謄本」の意味を学んだ感じです
1ヶ月は 優先順位のメモを付けた書類が テーブルに山になっていました。
役場関係の書類 名義変更 クレジットカードの解約。 お世話になった方への連絡のお手紙作成。
銀行口座は事前に解約しましたが 引き落としが滞り 余計な手間が発生
(良かれと思った 事前解約が このあと大変な問題を引き起こします
)
この時期の仕事は・・・正に神の助けか?偶然にしてはタイミング良過ぎました。
あんなに忙しかった仕事が 夫の亡くなる前後、急に減り 遺族の業務に徹することが出来たのです。
介護中は それはそれは 夫が心配し「減らせ」と言ったくらい 詰まっていました。
でも、今思えば あれも、神の助けであったと、思わずにいられません。それは・・・
正に書類の山崩し開始

何回、何部、戸籍謄本・印鑑証明・住民票を取りに役場に出向いたことでしょう

亡くなる1ヶ月前、 本籍を主人の実家から持ち家

でなければ 遠方に取りに行けないため いちいち小為替を同封して郵送してもらうしかありません。
この時点で転籍しておいて それは助かりました。
ただ引っ越す度に本籍転籍はするものではありません

相続関係では 前本籍の分全て必要になります。我々でさえ前本籍地で3部(改正などあり)、
現在の本籍で1部・・・必要でした。 改めて 「本籍」と「戸籍謄本」の意味を学んだ感じです

1ヶ月は 優先順位のメモを付けた書類が テーブルに山になっていました。
役場関係の書類 名義変更 クレジットカードの解約。 お世話になった方への連絡のお手紙作成。
銀行口座は事前に解約しましたが 引き落としが滞り 余計な手間が発生

(良かれと思った 事前解約が このあと大変な問題を引き起こします

この時期の仕事は・・・正に神の助けか?偶然にしてはタイミング良過ぎました。
あんなに忙しかった仕事が 夫の亡くなる前後、急に減り 遺族の業務に徹することが出来たのです。
介護中は それはそれは 夫が心配し「減らせ」と言ったくらい 詰まっていました。
でも、今思えば あれも、神の助けであったと、思わずにいられません。それは・・・
2010年06月22日
密葬 お別れの日 2
斎場に着き 事務所に状況を聞きました。
なんと 失礼な・・・。 同じ女性が?名前も名乗らず「〇さんの火葬がありますか?」と
二度もかけてきたそうです。もちろん 教えはしなかったとの事でした。
周りに情報が流出し 完全な密葬ではなくなった現実が 不思議で また残念です。
でも今 ここにいるのは たった7人。主人の母 妹 娘 私の母 B先生 ・・・
私の父は 実家で自宅待機でした。身体が不自由な理由だけではなく 過去の我々のある問題で
両家は5年以上も顔を合わせていませんでした。 父を呼ぶことは さすがにためらいました。
私の母だけは 主人が「生きているうちにお母さんに謝りたい・・・」とのことで
1週間前に 施設で再会しておりました。 主人の病気のことを母に話したのも 実は最近のことでした。
あれもこれも それもこれも 乗り越えた 私たちでした。
あんなにお喋り好きで 活動的だった主人は今 人形のように 静かに一人棺の中で
肉体との別れを待っていました。 寂しがりやで甘えん坊で 無鉄砲でルーズでetc・・・
子供以上に 手のかかる人でした
炉の前で 最後のお別れを・・・と 係りの方が棺の扉を開けようとした時
「開けないで下さい!」 とっさにでた私の一言。
今から 炉に入り 炎で焼かれてしまう主人の顔を 辛くて見られませんでした。
「もう十分お別れしたから いいわよね・・・」 義母の言葉に救われました。
懐かしい写真を眺めながら 火葬が済むのを待ち 骨だけとなった 主人と対面しました。
我々の波乱万丈の 18年の結婚生活は こんな形で終わりました。
なんと 失礼な・・・。 同じ女性が?名前も名乗らず「〇さんの火葬がありますか?」と
二度もかけてきたそうです。もちろん 教えはしなかったとの事でした。
周りに情報が流出し 完全な密葬ではなくなった現実が 不思議で また残念です。
でも今 ここにいるのは たった7人。主人の母 妹 娘 私の母 B先生 ・・・
私の父は 実家で自宅待機でした。身体が不自由な理由だけではなく 過去の我々のある問題で
両家は5年以上も顔を合わせていませんでした。 父を呼ぶことは さすがにためらいました。
私の母だけは 主人が「生きているうちにお母さんに謝りたい・・・」とのことで
1週間前に 施設で再会しておりました。 主人の病気のことを母に話したのも 実は最近のことでした。
あれもこれも それもこれも 乗り越えた 私たちでした。
あんなにお喋り好きで 活動的だった主人は今 人形のように 静かに一人棺の中で
肉体との別れを待っていました。 寂しがりやで甘えん坊で 無鉄砲でルーズでetc・・・
子供以上に 手のかかる人でした

炉の前で 最後のお別れを・・・と 係りの方が棺の扉を開けようとした時
「開けないで下さい!」 とっさにでた私の一言。
今から 炉に入り 炎で焼かれてしまう主人の顔を 辛くて見られませんでした。
「もう十分お別れしたから いいわよね・・・」 義母の言葉に救われました。
懐かしい写真を眺めながら 火葬が済むのを待ち 骨だけとなった 主人と対面しました。
我々の波乱万丈の 18年の結婚生活は こんな形で終わりました。
2010年06月09日
密葬 お別れの日 1
火葬当日の出来事
家族だけ・・・と言っていたことを もう一度 主人の兄弟と確認し
私は一部の方に お断りの連絡をしなければなりませんでした。
恐縮ではありましたが、主人と家族の意向を伝え ご遠慮していただきました。
「喪服」は着ない約束でしたから あれこれ悩みましたが 若者は(私も?)白ベースに決定。
私は 白い上着に真っ白なパンツルック・・・。娘は白のワンピース。
母たちは 遠方より急遽駆けつけたわけですから 持ち合わせの私服にしました。
白の喪服は「もう誰にも嫁ぎません」という意味のあることを 知っていました。
あえて意識はしてませんが 結婚なんて もう・・・
葬儀会社の方にも 私服と普通車で来ていただくようにお願いしました。
唯一 参列するB先生が 真っ白なユリとシンビジュームの花束を持ってきて下さいました
主人に「菊」なんて ありえません。さすがに 分かっています。
人目を避け 大きな棺を 玄関から入れました。
お別れの花は・・・どうも主人らしくない・・・
「なんか 花って感じじゃないよね」 反論されるかと少しは思いましたが 主人の兄弟も 娘も 同感
朝一で MACのハンバーガー買い行きました
とにかく MACの照り焼きバーガーとポテトが大好きで 具合が悪いときでも食べたくらいです。
期間限定のカリフォルニアバーガーを それはそれは楽しみにしておりました。
それとバナナ
最期の数日、食事が取れないとでもバナナは食べていました。
棺の中 鮮やかなブルーとグリーンのウェアの主人の周りには マックとバナナでした
ちなみに 私は 長男の嫁でした。義母は・・・我々がやることに 何も口出しはしませんでした。
普通なら 嫁が 自分の息子にこんなことして 激怒では?
この主人の母です
(後でじっくり書きます) 平凡であるわけありません
兄弟が言うには 母は主人より・・・
母たちと兄弟の号泣。 娘のポロポロ止まらぬ涙。 気が張っているのか 崩れない私がいました。
お別れを済ませ 棺をワゴン車に乗せました。 そこに私と娘が便乗し 家を出発しました。
ふと心配がありました。まさか・・・と思い 葬儀社の方に火葬場と連絡を取っていただきました。
嫌な予感が当たりました。
「名前も名乗らない女性から 何件か 〇〇さんの火葬が入っているかと
電話で問い合わせがあったそうです」
誰なのか・・・? 娘が激怒。穏やかだった私も さすがに怒りの感情が・・・
名前を聞いても 名乗らなかったそうです
家族だけ・・・と言っていたことを もう一度 主人の兄弟と確認し
私は一部の方に お断りの連絡をしなければなりませんでした。
恐縮ではありましたが、主人と家族の意向を伝え ご遠慮していただきました。
「喪服」は着ない約束でしたから あれこれ悩みましたが 若者は(私も?)白ベースに決定。
私は 白い上着に真っ白なパンツルック・・・。娘は白のワンピース。
母たちは 遠方より急遽駆けつけたわけですから 持ち合わせの私服にしました。
白の喪服は「もう誰にも嫁ぎません」という意味のあることを 知っていました。
あえて意識はしてませんが 結婚なんて もう・・・

葬儀会社の方にも 私服と普通車で来ていただくようにお願いしました。
唯一 参列するB先生が 真っ白なユリとシンビジュームの花束を持ってきて下さいました

主人に「菊」なんて ありえません。さすがに 分かっています。
人目を避け 大きな棺を 玄関から入れました。
お別れの花は・・・どうも主人らしくない・・・
「なんか 花って感じじゃないよね」 反論されるかと少しは思いましたが 主人の兄弟も 娘も 同感

朝一で MACのハンバーガー買い行きました

とにかく MACの照り焼きバーガーとポテトが大好きで 具合が悪いときでも食べたくらいです。
期間限定のカリフォルニアバーガーを それはそれは楽しみにしておりました。
それとバナナ

棺の中 鮮やかなブルーとグリーンのウェアの主人の周りには マックとバナナでした

ちなみに 私は 長男の嫁でした。義母は・・・我々がやることに 何も口出しはしませんでした。
普通なら 嫁が 自分の息子にこんなことして 激怒では?
この主人の母です


兄弟が言うには 母は主人より・・・

母たちと兄弟の号泣。 娘のポロポロ止まらぬ涙。 気が張っているのか 崩れない私がいました。
お別れを済ませ 棺をワゴン車に乗せました。 そこに私と娘が便乗し 家を出発しました。
ふと心配がありました。まさか・・・と思い 葬儀社の方に火葬場と連絡を取っていただきました。
嫌な予感が当たりました。
「名前も名乗らない女性から 何件か 〇〇さんの火葬が入っているかと
電話で問い合わせがあったそうです」
誰なのか・・・? 娘が激怒。穏やかだった私も さすがに怒りの感情が・・・
名前を聞いても 名乗らなかったそうです

2010年06月07日
密葬のはずが・・・2 (通夜もなし)
なぜ近所の方が知っているのか?
夜中帰ってきて ばれるとすれば まさか隣の家の人に気づかれた?
色々調べると 午前中には 主人の教えていたクラスの皆さんに広まって
さらにその後 密葬だから 広めないようにとも流れて 止まったそうです。
どこから漏れたんだろう??不思議でたまらない
完璧な密葬が出来ると思っていたのに・・・
取りあえず 施設に電話し 誰が来ても 洩らさないようにお願いしました。
静かに事を済ませたかったのに 気分の滅入る出来事でした。
でもめげていられません。やることはいっぱい! 役場に死亡届けを出しに行き・・・色々相談。
家に帰ると 唯一連絡を入れたクリスチャンの方々と 主人の大親友が主人に会いにきました。
出迎えるのは私の役目。 通夜は勿論なしで 最小限の訪問でしたが 休む暇はありませんでした
娘が祖母たちと 私のいない食卓で 「ママ寝てないのに疲れちゃう
」としきりに心配していたそうです。
涙・・・・
これが公の通夜だったら もっともっと もっともっと 大変
明日は火葬です。 喪服は着ません
主人との約束です!
数々の試練を乗り越え、この人の妻を貫いた以上、私が主人の意をまっとうせねば!
(*この記事は 主人が亡くなった 数ヶ月前を思い出して 書いています)
夜中帰ってきて ばれるとすれば まさか隣の家の人に気づかれた?
色々調べると 午前中には 主人の教えていたクラスの皆さんに広まって
さらにその後 密葬だから 広めないようにとも流れて 止まったそうです。
どこから漏れたんだろう??不思議でたまらない

取りあえず 施設に電話し 誰が来ても 洩らさないようにお願いしました。
静かに事を済ませたかったのに 気分の滅入る出来事でした。
でもめげていられません。やることはいっぱい! 役場に死亡届けを出しに行き・・・色々相談。
家に帰ると 唯一連絡を入れたクリスチャンの方々と 主人の大親友が主人に会いにきました。
出迎えるのは私の役目。 通夜は勿論なしで 最小限の訪問でしたが 休む暇はありませんでした

娘が祖母たちと 私のいない食卓で 「ママ寝てないのに疲れちゃう

涙・・・・

明日は火葬です。 喪服は着ません

数々の試練を乗り越え、この人の妻を貫いた以上、私が主人の意をまっとうせねば!
(*この記事は 主人が亡くなった 数ヶ月前を思い出して 書いています)
2010年06月01日
密葬のはずが・・・1
昼ごろ 目の前に お世話になった A先生が・・・。それは 驚きました
病院に行ったら いなかったので こちらに出向いたそうです。
外部にはまだ知らせていませんでした。
唯一 25年近く一緒の仕事(教育)に携わったB先生にはご報告。すると・・・
もう都内から向かっているとメール・・・
密葬だし 昨日 最期の大変な時を過ごし 疲れているからご遠慮下さいと 伝えたのですが・・・
でも B先生とは長年 家族ぐるみでの付き合いもありました。
何度も 何度も「よー
」と ひょっこり あっさり 主人に会いに来てくれました。
数少ない 自然体の主人が見られる 唯一 友人の一人でした。
とにかく 主人への見舞いの気遣いは 涙が出るくらい伝わりました。
明日是非参列させてくれ・・・という 先生に お断りすることは出来ませんでした
先生方は すぐに帰られて にぎやかな両家6人の食事が始まりました。
私の母が 手際よく料理を準備してくれました。
遠慮なく もうすぐ74才になる実の母に 甘えられるという 安心感がありました。
そんな午後のひと時
「こんにちはー」と玄関先に 大柄なシルエット
近所の方(Mr〇〇〇゛ )が 「ご主人・・・なくなったの?」
え~~~~~~~~?? なんで知れてるの???????
カルチャーショック



病院に行ったら いなかったので こちらに出向いたそうです。
外部にはまだ知らせていませんでした。
唯一 25年近く一緒の仕事(教育)に携わったB先生にはご報告。すると・・・
もう都内から向かっているとメール・・・

密葬だし 昨日 最期の大変な時を過ごし 疲れているからご遠慮下さいと 伝えたのですが・・・
でも B先生とは長年 家族ぐるみでの付き合いもありました。
何度も 何度も「よー

数少ない 自然体の主人が見られる 唯一 友人の一人でした。
とにかく 主人への見舞いの気遣いは 涙が出るくらい伝わりました。
明日是非参列させてくれ・・・という 先生に お断りすることは出来ませんでした
先生方は すぐに帰られて にぎやかな両家6人の食事が始まりました。
私の母が 手際よく料理を準備してくれました。
遠慮なく もうすぐ74才になる実の母に 甘えられるという 安心感がありました。
そんな午後のひと時
「こんにちはー」と玄関先に 大柄なシルエット
近所の方(Mr〇〇〇゛ )が 「ご主人・・・なくなったの?」
え~~~~~~~~?? なんで知れてるの???????
カルチャーショック



