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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2010年12月31日

娘と父 母として 妻として・・・

主人にとって 娘はもちろん大切な宝物キラキラでも・・・なんで 喧嘩になるんだろう・・・

介護中 何度か ありましたがーん…

あれだけ 「パパは私が見る!」って 言っていた娘が 「私には無理・・・」 何度か
 弱音吐きました。見ていても怒りたくなるくらい パパに冷たい場面がありましたバッド

小さいころから パパのよき相棒笑で 年頃のパパ拒絶もなく育ってきたのに・・・。
 「タイミング悪く 思春期独特のパパ嫌いが 今頃でたのかもよ・・・」と主人をなだめていました。

ただある時 娘が学校でのストレスも抱え 耐えられなくなったか?震えた声で
私の留守中の主人の行動を話し出しました・・・がーん… 
「ママ悲しむだろうし これ話したら パパの介護やめちゃうって思って言えなかった汗
「・・・そんなこと ママ分かってたよ 大丈夫にこにこ」 
「なんで~ 私じゃ無理・・・」

娘が知る現実なんて 私にとったら まだまだ ちっぽけなストーリー汗
もっとドロドロした辛い経験を乗り越えた私には それを聞いた心の痛みはまだまだ軽傷ぐー
それよりも 今 現実 命の問題のほうが大切であると思いました。
「パパはいつどうなるか 分からないんだよ・・・ 耐えられるのはママ達でしょうグッド頑張ろう・・・・
〇〇が出来ないならママがやるからぐー

そんな母と娘だけの秘密の誓いがありましたキラキラ 今 娘を守れるのは 私だけ・・・

何が原因だったか? 最後のショートスティ前ごろだったか (余命1ヶ月を切ったころ)
 二階から娘がバタバタ駆け下りて来ました走る
「いい加減にしろよ~ ふざけんなーーー」
今まで過去に1度だけ見たことのある 怖い目びっくり 
手は動かないため 筋力のかなり低下した足で 娘を蹴ろうとしていましたがーん…
泣きながら逃げる娘・・・ キッチンの角に追い込まれた娘・・・

「やめてよー」
私が立ちふさがりました。
「どけー そこどけー」
私と主人の 数秒の にらみ合い

私には言葉なんてでませんでした。言葉を発したら 主人を孤独にさせることは即座に判断出来ました。
または倍以上の逆襲の言葉を浴びて 結局私が引き下がるのが 目に見えました。心の中では・・・
 「私のいないところで 何こそこそやってるのよ!!!なんでこの家にまたそんな問題持ち込むのよ!!!私達がどんな思いで頑張ってるのかわかんないの??」って 叫んでいました・・・がーん…

余命を一生懸命生きている主人に 言える言葉ではありませんでしたバッド
よく 理性と忍耐が働いたな~と 妻としての自分を今振り返ります家

 
   





  


Posted by マリン at 11:46Comments(0)家族

2010年12月29日

実の親子 他人の夫婦 

去年の31日は 主人が兄弟に連れられて 実家に里帰りして
娘とほっとしていたのを振り返ります。 介護休暇でした・・・グッド
2日に電話があり 「おふくろじゃ無理だ・・・がーん… 」と 電話で話したのを思い出します。

私が仕事で出ていることが多く ヘルパーさんに食事や生活介助をお願いしていたわけですがせいぜい2時間程度。介護保険内で 上手くやりくりは出来ていました。ただ目も見えづらくなり 私が留守をしてる間に ケガでもするんじゃないか?と 心配もありました。 その他 娘と私は 精神的に耐えることが山で 爆発寸前でした汗

「ねえ・・・冷静に考えて お母さんのところにいたほうが 面倒見てもらえるんじゃない?
   1日家にいるわけだし・・・」
忙しい私に主人が合わせて トイレを調整していたりもありました。我慢強い人ですから 頑張っちゃうんです。仕事しながらの介護 それも 訳ありの夫婦関係で 互いに気を使い 本当にこれでよかったのか?真剣に考えていた時期です。この人のために 実家に戻ってもらうほうがいいのではないか?息子のためなら お母さんも喜んでやってくれるのでは?と 思いました。(主人と母の関係を 甘く見ていました。)主人も母親に頼れるものか?考えてはいたと思います。

「お母さんにやってもらってるんじゃないの?」
「いや・・・ やってもらえない 無理だ おふくろには・・・」
「だって 食べさせて もらってるんでしょう??」
「食べてないよ 朝から・・・」

愛情深いお母さんなのに なぜか 息子と一緒になると 大喧嘩バッド
主人も普段は穏やかなのに 母の前では抑えが効かないのです。
このときか?この後かな? ガラスを割ったほどの大暴れがあったそうで
兄弟が 必死に止めに入ったとか・・・がーん… 

そういえば 娘とも最後のバトルがありましたがーん…
主人の目の色が変わって 私が涙で娘をかばいました汗

主人は私には 強く当たらないんです。当たれない?
当たられたのは あの時だけ・・・汗当たるんじゃなくて 逆切れ・・・汗

あ・・・ 年明けて直ぐ ありました。夫婦の冷戦しーっ
私には 爆発しない反面 部屋に引きこもり 2日間 食事拒否
トイレに行かなくちゃならなくなるからと 水も飲まず・・・ 頑固な人でしたがーん…
闘病中だったからでなく 昔から こんなこと よくありました・・・汗

「食事食べないと・・・」
「いい・・・」

「好きなもの買ってきたけど・・・」
「いらない・・・」

「トイレは?」
「大丈夫・・・」

何言っても ダメでした。 しつこくはしませんでした。 どうせ無理なの分かっていました汗

実の親子(大喧嘩)と 夫婦という他人同士の関係(冷戦) やはり 明確に違うと思いました家
  


Posted by マリン at 22:39Comments(0)家族

2010年12月29日

今年の年末 去年の年末

昨日は外での仕事納めでした笑
今日は こまごました残務処理を 娘の傍らでのんびりこなし 休暇に入りました。
やはり 日々外に出ているため まるまる1日 家で過ごせることに違和感あり。

そうだ・・・去年は主人がいて  目まぐるしい年末だったんだ汗
大掃除なんてしていないわけですがーん…
夕方 食器棚を掃除しましたが ホコリのたまり方が例年以上・・・でしたバッド
看取った後も そんな細々したことをするエネルギーも 失くしていましたし・・・。

(仕方ないよ・・・ 去年から 大変な毎日だったんだから・・・)と 自分をなだめました。

キッチンの引き出しの中を 整理したり それはそれは綺麗になりました。
いつまで もつかな・・・汗 がんばろうグッド
 

  


Posted by マリン at 22:11Comments(0)仕事

2010年12月28日

遺産相続の問題って・・・

よく 骨肉の争いと言うけれど・・・・
ノイローゼになった数々の経験談を 聞く場面がありました。

我が家は・・・・汗

大切な遺言状は 口頭で受け取りましたが家ただ困ったことは やはり ありましたがーん…

看取ってまもない遺族に その話題は かなりきついです・・・。でなくても 病んでるわけですから・・・
中には 亡くなった側から・・・葬式と同時進行で 遺産相続の話しになるケースも聞きました。
もう気の毒でなりません。長い期間 決まりが付かず ノイローゼになってしまった実話も届きました。
法律は身の守りになりますが 弁護士に相談する費用 労力 理解力が必要です。

その他 我が家の場合 細かい部分の問題があちこちから浮上
 主人のこと 自分の遺品を あちらこちらで多くの人に 「〇〇やるよ 使ってくれ」と
 言っていた為 いったい 誰にあげて良いやらなんです・・・汗

つまり 「〇〇やるって 言われたんですけど」って そんな友人知人が 次々出て来ましたグッド
主人の話しをまともに信じた人には気の毒ですが・・・・一つのものを切り刻むわけにはいきませんやぶれたハート

中には 主人の性格を分かっていて すんなり諦めて下さる方も・・・
亡き後も 相変わらずお騒がせな主人です汗

そんなこんなで いなくなった気が ちっともしませんよ汗


  


Posted by マリン at 23:21Comments(0)遺族として

2010年12月28日

働く女性として 女として・・・

主人が仕事を引退してから その大切にしていた仕事の一部を 私が引き継ぎました家
これで良かったのかな? 日々考えつつ 一生懸命 満足頂けるようにエネルギーを使いました汗

私としては 主人の代わりという プレッシャーと やはり主人の思い出話との辛い試練がありましたがーん…
プロとして 引き継いだ以上 泣き言も言えませんし 乗り越えるしかないのですがグッド
一人の女としては  泣き言を言いたいくらい 辛い場面が多々ありましたバッド
〇〇先生は こうで ああで・・・・と 何十回 何百回 聞いたことでしょうがーん…
聞きたくないと思っても これは私の試練だと思いました。

遺族として女としての辛い感情を抑えられたのは 仕事への情熱とプロ根性かな?
女でいることより 働く女性としてコントロールする努力をしました。

ただ 心許す方には 遺族として 女としての一面を ポロリもらしたこともありました・・・
今日も・・・ある方と 1時間以上立ち話

話しの成り行きで 似た経験をされた方だと分かり 話しが尽きませんでしたしーっ
私が口をひらかなければ ここまでの長話しにならなっかたでしょう
時に語ることで また分かち合える人と出会えたことも 辛い経験があったからこそ

決して無駄な経験はないこと その経験が今の自分を作っていること 前向きに 受け止めようと思いますにこにこ  
そして 困った人に手を差し伸べて 社会の役に立てれば・・・と思いますぐー
 
 



 

   


Posted by マリン at 21:42Comments(0)仕事

2010年12月26日

思い出の乾燥芋


去年 なかなか手に入らないという 乾燥芋を 
   私が知人から頂きました。

つい先日また頂き 「うわー嬉しいーハート」と 
  とにかく大喜びしてしまいました。 なぜなら・・・

去年の暮れだったか?年明けだったか?
娘が 大の乾燥芋好きで
  そのお芋を大事に食べていました。

それを主人の親友がお見舞いに来た時 
   出したのですが・・・・
まさか食べても少しか 手は出さないと思い・・・
  ところが 主人が そのお芋を 
 親友に全部あげてしまったのですびっくり



「えーーーーーーーーー汗あれ なかなか手に入らない芋なのに~~」 と私・・・

「えーーーーーーーーーやぶれたハート あれ楽しみにしてたのに~~」 と 娘・・・

本当に 胸がキュンとするくらい ショックでしたがーん…

さすがに 主人も シュンとして    「ごめん・・・ 」

娘の食い気は 怖いんです汗

病気の主人を前にして その時はさすがに気遣いも忘れ 普段の素の家族の姿でした家

そんなわけで 今年も頂き ほんとうに嬉しかったのです晴れ 
甘くて しっとりしていて お~いし~い晴れ



    


Posted by マリン at 21:42Comments(0)家族

2010年12月26日

ぶたなべ

主人と大笑いしたぶたなべ(^-^)

私が買ってきて 主人の傍らで
「ねえ 見てみて 笑(意味ありのニンマリ顔)ほらちょき 」
開けたとたん 笑い出した主人
「笑わせんなよ~ 殺す気かぁ~」 かすれた声が 耳に響きました
「は~」と 主人は目をぱちぱちしながら 胸を撫で下ろしました。

最後の夫婦バトル??最後の長い冷戦の後 
  仲直りした時の出来事家 
それはそれは まるで新婚当時に戻った感じでした。  

調度お世話になった PTさんとOTさんと 勉強会も含めて
  食事会をする予定がありました。
   「これで鍋でもやるか笑
ホームパーティを よくやっていた我が家
  それは楽しみにしていましたプレゼント


予定の日 PTさんから連絡がありました。その日は 施設入所して5日目でしたがーん…
「無理だな・・・残念だ」
無声音で話すのがやっとでしたバッド亡くなる 5日前です家


それから そのぶた鍋は箱にしまったまま 冬を迎えました。
先日 娘の前で初披露 「うわー 可愛いハート」 
パパとの思い出話しを聞かせて 二人で 初ぶた鍋 をしましたグルメ   


Posted by マリン at 16:20Comments(0)夫婦

2010年12月26日

きぬの湯へ 娘と・・・

娘と二人で 常総市の「天然温泉 きぬの湯」

かけ流しの温泉で 体温に近い温度ですから 長湯が出来て
 熟睡もできます笑1時間半ぐらい つかっていました。
   こんなところに いい所あるんですね~。

本日のお気に入りは露天にある茶碗風呂ハート
一人でくつろげる ほどよい大きさに感激晴れ

「ママ 結婚記念日だねにこにこ
「生きていれば そうだね。19年目だね」
「前は結婚記念日っていうと 言わないでって怒ったのに
  怒らないねにこにこ
「あ~そんなことあったね~汗

娘っていいですね晴れこんなたわいもない話ができます。
二人で「白玉あんみつ」を食べて 帰りました。


夕飯は 前の晩から 娘が下ごしらえをした 魚介類の手料理を食べました。
私は席に着くだけ・・・

あ~ こんな可愛い娘のために 母は頑張らないとねぐー
嫌な事があっても 辛いことがあっても 踏ん張れますぐー
母は強しぐー 

パパも私に託したわけですからグッド   



  


Posted by マリン at 15:43Comments(0)シングルマザー

2010年12月25日

写真が物語る

ここ5年ほど アルバム整理をしていません・・・
それまでは きちんと貼り付けて メッセージ書いてまとめてるのに
バラバラと 写真が出てきました。いつのか 分からなくなってしまいましたがーん…
整理整頓し 管理には自信のある私が 私らしからぬ状態汗

ふと 見たくない写真が思わぬところから 出て来ましたびっくり
さらに次の日 主人の実家でも 母が写真を持ち出してきました。 
 
「ごめんなさい お母さん それ見れない汗

見たくない写真でした(泣) 
我々がこじれていたころの写真で 今でもあの頃の 孤独な一人の夜を思い出し
 胸が苦しくなってしまうのです。 介護中の写真はどうにか見れるのに・・・汗 

おまけに 主人の聞きたくない話題まででて 娘と二人で激怒・・・
義母は 私達がどれだけ辛い思いして 介護したのか知らないのです。

「〇〇家 女難の相があるのかも・・・」 と義母がポロリ・・・

おかあさーん あなたの息子ですよ~汗

思い出に変わるまでには まだまだ時間がかかりそうですヨット

 
  


Posted by マリン at 23:46Comments(0)夫婦

2010年12月23日

分骨  主人の実家へ・・・ 

夏に 海に散骨し 少し遺骨を残しましたヨット

主人の実家の母から 手元に置きたいと言われていました。
やっと今日届けることができました車ビンに詰めて ピンク色のラッピングをして リボンをかけてにこにこ
いかにも遺骨と分からないようにして 渡しました。
骨を見たら きっと ボロボロ泣いてしまうのでは?と 思い そのように準備しました。
確かに 「見られないよ・・・」と 淋しそうなお母さんの目がーん…

墓に入らないという主人の希望は 何回か説明しましたが 届けた以上 お母さんがどうするのかは 細かく聞いたりはしませんでした。主人の思いを大切に考えてくれる お母さんだと思います。

「分骨」が済み 今日はほっと一息・・・。

娘と三人で お食事に出かけました。
帰りに 買い物がしたいとのことで スーパーに立ち寄ったのですが
「あ ここね パパとよく来たんだよ。このパン パパ大好きで いつも来ると買ったんだよ笑

調度 私と別居してる事情で 主人の実家でおばあちゃんと3人で過ごした週末を 思い出して話してくれました。

でも 一度家をでた息子が 実家に戻り それも孫と3人で過ごせたなんて(嫁抜きで最高?)
我々の 破局問題があったからこそでは??
「〇〇ちゃん 来るの ほんとに楽しみにしてたのよ~」
「ここで よく二人で ゲームやってたわよね 」
主人の出戻りはお母さんへの 最後の親孝行だったのかも・・・

その裏側では 私は シングルマザーになる予行練習していたようなものですし・・・

全てこれまで起きた辛いことは 決して無駄になることはありませんぐー
前向きキラキラに考えれば こんな幸せな見方も出来ますグッド






久々の主人の実家・・・。 本当に何年ぶり??
介護中も 送ったことはあっても 中に入ったことはありませんでした。
主人は 実家での乱れた生活の現場を 見られたくないと言っていました。
最後まで 実家の用事を兄弟にお願いしたのは そんな事情があったようです。 

「正直 実家見られたくないんだ。 あなたと離れてから 何にもやる気なくなって・・汗・」
別居後の心情を 私に話してくれたことが ありました。
(やはり 男の人って女より弱いのかな?) 

確かに 二階も下の部屋も荷物だらけで まるで倉庫状態がーん…



   


Posted by マリン at 22:03Comments(0)遺族として

2010年12月21日

嫁と姑の会話

主人の母に電話を入れてみました。 娘も冬休み・・・おばーちゃんに会いたいって晴れ

色々話していると 姑の口から なんと 私の再婚の話しがでましたがーん…
「〇〇さんも 新しい人生あるんだし」
「へ?新しいって?何のこと?」
再婚のことよ」
「えーーーびっくりお母さん 私全くそんなこと考えていないですよ汗友達からも言われたりするんですけど もう・・・こりごりですがーん…
決して病気のことでこりたのではないですよ。病気以前のことです・・・
姑に向かって 正直な気持ちがストレートに出てしまった私汗
多分 姑というより 同じ未亡人として 女性として語っていたかと思います。
ちなみに その私のこりごりの一声のあとに 姑は間髪入れず
「そんな・・・〇〇さん あの子みたいな人ばっかりじゃないわよ」って・・・

この姑と元嫁の会話 よく考えると なんかすごいでしょう?
私も 電話切った後 お母さんの言葉の意味に はっとしました。 

お母さんも 息子には かなり苦労したってことですがーん…

でも 子供に先立たれた辛さを話していました。妻の私の辛さと形は違い 私の何倍も悲しいのではないか?と思いました。結婚生活は お母さんと主人の過ごした時間の3分の1ぐらいですからね・・・。絆も 重みも 違いますがーん…



再婚・・・? とんでもない!!! (また言ってる)
もう一人で生きていくつもりで 老後の準備も考えてる私です。
 


 



  


Posted by マリン at 23:39Comments(0)女性として

2010年12月18日

スタットレスタイヤの購入・装着

夫がいる時は 四駆の車あり スタットレスタイヤ装着あり 

雪が降ると 夫の車に頼っていました。 もちろん運転も夫任せ・・・。

私は普通車で 雪道はパスがーん… 首都高速も走れない私バッド

シングルマザーになった今 運転の心配なところは 電車やバスを利用

ただ 雪の日の娘の送迎に備え スタットレスタイヤを入れました車

なんせ 家の駐車場から出られなくなるので・・・・汗(ど田舎がーん…

スキー場は・・・・?? とても自信がありませんから 高速バスか新幹線かな?

自分の運転技術は 夫に頼りきりでしたから 上がらずです汗

通常の運転でさえ 母子家庭の責任を感じ 慎重に スローになりました車 

   


Posted by マリン at 21:52Comments(0)シングルマザー

2010年12月17日

雨漏り問題 業者泣かせのコロニアル

雨漏り問題のその後

今日は大工さんと 瓦屋さんが来て 応急処置をしてくれました。 これで何度目がーん…??
先日 少々の雨のときに 調度大工さんが来てくれて はがした天井から実際に漏るのを見て
「いやーびっくり ここまでひどいとは思いませんでした」
ということで 今日は 屋根をめくることに・・・家
そして めくったら 隠れていた部分が かなり割れていたとのことです。

コロニアルなんですが これがかなりの業者泣かせと聞きました。
大体 雨漏りを訴える素材の多くが このコロニアルなんだそうです。
それと 我が家の 緩やかな傾斜の屋根には 合わないという事も判明・・・汗

今回応急処置で止まればいいのですが・・・屋根材も古くなってきているとのこと汗

さらに このコロニアルの厄介なのは アスベストを含むびっくりということで 撤去方法も複雑で
 処分費もかなりな額らしいがーん…

重ねて直す方法も いろいろ 説明して頂きました家 ご縁はあるもので 大工さんが呼んだ 瓦屋さんは 以前小学校のPTA本部役員で ご一緒に活動した方でした。 地元のつながりって 心強いですしぐー   安心です晴れ

娘も公立の小中を卒業し 高校は私立ですから 地元父兄とのつながりは消えてもおかしくないのですが
本部役員であった4年間に知り合った地元の方々と こうしたつながりが今でもあります。
数えれば 数人じゃきかないですねグッド 年々増えているのは それだけ 地域になじんできたから??
いろいろな方面で もとご父兄のみなさんに 親切にしていただいています。

あの時 役員を引き受けていて 本当に良かったにこにこ 

 


     


Posted by マリン at 22:32Comments(0)シングルマザー

2010年12月16日

USENの取り付け 

つい最近まで 娘の部屋に USENをいれていました。贅沢・・・がーん…

ただ 私のほうが仕事で使うため 移動走る 無事にスピーカーとつなぎ JPOPが流れ出しました。
 ところが一夜にして聴けなくなり バタバタ原因を探りました。(また私なんかやった汗??)

考えてみると ベランダ掃除をしてから 聴けなくなりました。  娘に聞くと・・・

アンテナの微妙な角度が原因と 娘のほうがよく知っていましたグッド

「あれね パパが腕動かないから 下で持っててくれて 私が頑張ってネジ締めたんだよ」

そう 腕の動かないパパを手伝って 娘がベランダに アンテナを設置。

娘の 思い出の作業 思い出のアンテナですにこにこ

あのころ よく パパの腕代わりになり よくお手伝いしました・・・家

娘は いい相棒だったと思います晴れ
   


Posted by マリン at 21:07Comments(0)介護

2010年12月16日

意味のないカレンダー

家族用に各自の予定を書き込めるカレンダーを買ったのに、
使ったのは、看取るまでの数ヶ月だけ(-.-;)

訪問リハビリの日、訪問看護の日、ケアマネさんや介護事業所との打ち合わせ、病院、訪問医療、ショートスティ、私の仕事に娘の合宿予定などを書いていました。それも忙しい最中、やっと読めるような字で書いていました(自分で書きながら解読不明もありがーん…

その後は、ほとんど使用せず汗書いてる余裕もなく、なーんにも書かなかった11月は、先日破ったばかり汗破るゆとりもない?いやこのカレンダーの存在まで忘れてるバッド現実パッと見るのは、一年分が一目でわかる普通のカレンダー晴れ

仕事が不規則な私は、なんでも手帳にびっちり書き込むため、書き込むタイプのカレンダーを使う必要はないらしいf^_^;

来年度は普通のカレンダーにしよう(v_v)普通が一番キラキラ
  


Posted by マリン at 21:01Comments(0)

2010年12月15日

ある社長さんの話 2

そう・・・ 社長さんは50代で 今更雇ってくれるところなんて ないだろうと諦めていたそうですバッド

「うちのも パート出てるんですけど走る・・・ 働くったって 俺と同じ年なんですよ汗
        無理させられないしね~キラキラ
        
 ( あーちゃんと奥さんの身体労わってるんだ・・・ )
 ( お子さんだけでなく ちゃんと奥さんも守ってるんだ・・・  )

私には もう守ってくれる人はいない・・・ そう思いました。
「世帯主」 の欄に自分の名前が表示された 保険証を見ると
結構 ずっしり 重い気持ちになります汗

なんやかんや あれだけ闘いながらも・・・夫は私の身体を 心配してくれていたようです。

何人かの人に「家内に 俺の話しはしないでくれ・・・辛いはずだから」 ・・・と話していたそうです。
確かに 毎週お会いする その方々からは 夫の名前は出ていませんでした。

夫婦って他人なのに こんなふうに互いを思いやるようになるんですねハート
生きていたら 12月24日が 結婚記念日 まる19年ですにこにこ

 
  


Posted by マリン at 23:37Comments(0)夫婦

2010年12月14日

ある社長さんの話

家の山のような修繕の件で ある建築関係のけ社長さんと お話しする機会がありました。
元々知り合いで 共同経営の会社が倒産し 大変なご事情を詳しく話してくれましたがーん…

「いや 今ね お恥ずかしい話し ある会社で夜勤してるんですよ汗

「えーーーーーびっくり?(手広く事業興してたのになぜ?)」

「最初は プライド捨てられないと思っていたんですけど もう子供のために父親として やってあげなきゃならないしね プライドも何も 捨てましたよ。会社の面接して 今は 平で雇ってもらっていますにこにこ

なんやかんや 1時間以上 話し込んでしまいました。
私も 夫との1000万の借金返済エピソードを話し 励みになったか??
身体気をつけて互いにがんばりましょうと 言葉をかけました。  

私も シングルマザーになり 働くことの責任は重大。 自営業だし 毎日が一生懸命・・・。
日々 感謝を忘れないように 娘の前で口ずさんでいます。

 「食べられることに感謝」 「仕事があることに感謝」 

今日は そんな社長さんの話を聞いた後で ついつい言葉に力ぐーが入ってしまいました。
「こうして食べられるのは 働くから食べられるんだよグッド仕事があることに感謝だよグッド
「いい話し聞いた~キラキラほんとに今日は 感激した~キラキラ」と 
相変わらず 一人で感動し 一人でぶつぶつ喋っている私ぱー

進学や将来の仕事を考え始めた娘から
「働くって楽じゃないんだからね。やっぱり医療系かな~」と 返ってきました家 
 

  


Posted by マリン at 19:14Comments(0)シングルマザー

2010年12月13日

乗り越えた??・・・てなんかいない

年末になり・・・不意をつき 言われた言葉

「よく乗り越えて すごいわね 」   「強いわね~」グッド

私 元気に晴れ 強く見えるみたい・・・汗 

ふと 真顔で 「辛いこと まだまだありますよ・・・」と ポロリ汗

いま思い出しても 寂びそうな表情をしてたと思います

(無理しないでいい・・・)

そう自分に語りかけています

(どんな複雑な思いでいるか 周りは分からなくて 当然・・・)

自分で 自分の肩をそっとたたいてみる感じで 自分をなぐさめていますにこにこ

でもこれって 大事では?? 娘にも 教えてます!

「その人の辛さは その人にしか分からない。分かるとすれば 同じ経験者かな」

よしよし・・・ よく頑張ってるね~って 自分で自分を労わってあげようね笑 」

それも 神妙な感じでなく まるで舞台女優のセリフのように
 身振り手振りでオーバーに表現して 
教育を 楽しんでいますちょき 

宝塚あこがれだったしね・・・キラキラ 演劇部で活動してたしねぶーっ

ほんと好きハートだった~ 舞台・・・ あれ?話しが 脱線してしまった走る




  


Posted by マリン at 21:56Comments(0)遺族として

2010年12月12日

シングルマザー木に登る

日曜日 私は毎週仕事走る 大体半日ですが・・・
終わったところで ちょっと 肩の力抜きたいな~って思っても  今日は 気合いですパンチ

先日農家のおじさんに 「もうこれ以上大きくしたら 手に負えなくなるぞ~」と言われた 庭のモチノキ汗葉は茂り 空に向かい 新しい枝がぐんぐん伸びています
がーん…なんせここ3年ちかく手入れ出来ていませんでした。 自分で手入れできる 大きさに止めておかねばぐー

コーヒーを半分だけ飲み いざ 出陣走る軍手をつけ 脚立を立てて ノコギリを握りましたぱー
(こんなに 大きくなり 私に出来るかしら?)
脚立では届かず 木登りして 上からバサバサ 2時間かけて切り落としました。
一番太いところは さすがに電池切れて 娘に頼みました。
なんせ 小さなのこぎりですから ひたすらギコギコ・・・・汗 

いつだったか 卵を温めていた はとの巣がまだ残っていて ほのぼの
隣のおばさんが 「気をつけてよ~びっくり」と 庭から声かけてくれて ほのぼの
久しぶりの木登りは 気持ちよかった~ キラキラ 

娘と二人で 綺麗に小さく仕上げましたキラキラ
出来て 良かった笑 




  


Posted by マリン at 22:42Comments(0)シングルマザー

2010年12月11日

遺族同士 

今回は銀行の駐車場で 「あ~〇〇さんぱー」と 声をかけられました。
でも今回は 買い物先のように硬直せず、 すぐ 「あ~〇〇ちゃん」と 近付きましたにこにこ

一回り以上年下の彼女は 10代の時 お母さんを亡くしているからです・・・

主人が亡くなって間もなく 玄関にお花が置いてありました家彼女からでした。簡単な手紙があったか・・・お礼のメールを入れても それきりでした。

「出先で声かけられるの辛いんだ・・・そっとしておいてほしいのに・・・」っということを話したら
「分かる~ もう ほっといてほしいよね。 私 身内を亡くす辛さが 想像していたより 12倍辛いってあの時分かったの。二年ぐらいは辛くて辛くて・・・。ほんと 辛いよね~ 」

共通の知人が 何人か ご主人を亡くされていて その話題になり
「ご主人亡くした〇〇さんは はっきりしてるから 名前だすと直ぐ言わないで!って返してきますよ。10年経ってもだめっていう人もいるし・・・・」

まだまだ主人の名前を聞かない週はありません汗
心の奥で ぐっと 頑張っている自分がいますぐー

彼女の話を聞いて 自分だけじゃないんだと 慰められましたキラキラ  


Posted by マリン at 23:04Comments(0)遺族として