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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2010年11月30日

娘を車椅子に乗せました

先日 娘が夕飯後 お饅頭を一口食べた瞬間「喉が詰まる  肺が苦しい・・・呼吸が苦しい」と 訴え始まりました。

まさか??アレルギー?? 見ると お饅頭の皮が黒ずんでいます。娘はますます苦しがり ひどい痒みに襲われ 首や頭をかきむしりました。じたばたと血が出るほどかきむしりました・・・汗
救急車を手配しようか考え 119にTEL走る
娘に確認すると呼吸はどうにか出来るということで 救急受け入れの出来る病院を聞き 自分の車で病院へ向かいました。主人を看取った施設のある病院でした。 私が運転する隣で 娘は苦しがり かきむしり・・・救急車にすればよかった・・・と不安が・・。 必死に運転しながら ずっと手を握り締めていました車

無事病院に到着し 医師の指示で ステロイドを早いスピードで点滴。同時に 気道がふさがる心配がないかを診察しました。ドクターも 看護士さんも それは優しかったのに 二人で感動ハート
気道はとりあえず大丈夫と 薬の効くまで 娘は耐えるしかありませんでした。
歩くことも出来ず うずくまり 数時間後トイレに行きたいと やっと言葉を発しましたが 歩けないとのこと 車椅子に乗せました。ふと後ろの施設で 主人を乗せて歩いた場面が浮かびました。

吐いたのが良かったみたいで かなりスッキリした様子で 深夜家に帰ることが出来ました。 
朝はほっしんもひき 不調はあるものの 学校は休みたくないとのことで 車で学校へ送り届けました。
何も知らない担任の先生から 具合悪そうだと お電話がありました。 
普通の女子高生だったら まず休むでしょうが・・・我が家は鍛え方が違いますからと伝えましたぐー
 
小さいころから ソバアレルギーが強く 旅先では食事メニューやそば殻枕を変えてもらっていました。
数日後あのお饅頭がソバ饅頭であったことが 判明しました・・・がーん…


「本当に死ぬかと思った・・・。車の中でママがずっと手を握っていてくれて あれ・・・すごく安心した」

「ママ 昨日はありがとう」 って・・・キラキラ   






  


Posted by マリン at 17:05Comments(0)シングルマザー

2010年11月29日

訪問医の診察 3人目の主治医

訪問医というと 一回2万円ほどかかると聞いていました汗
でもALSの場合 一般特定疾患のため 医療費はかかりませんぱー 

初めて家に来ていただいた日は 雨雨・・・雪雪? このころの記憶が途切れ途切れですがーん…


先生は 四駆の大きな車車で到着! トレーナーに Gパン?に長靴にこにこ
 お医者さんって感じではありませんでした。

そのころは ダイニングキッチンからつながった 和室にベットを置いて 過ごしていました。
もともとは 娘の部屋でした。 先生が畳に座り 主人の話すことを 頷きながら聞いていた場面が
脳裏に浮かびます家 

このころ時々考え始めたのは やはり死期。  でもどうなるのか 想像も出来ませんでした。

といって 万が一パニックしないように 準備していなければ とても不安でした汗

(1)何かあれば 先生を呼ぶ   (2) または救急車で 施設内の病院へ搬送セカンドオピニオンの先生から 訪問医に委ね 家で最期を迎える方法もあると聞きました。

主人は 密かにのことを考えていたようです。父として 娘に与える影響・・・
 家

こんなにも主人が安心し 最期を委ねたい先生が目の前に現れたのに・・・キラキラ

先生の診察は 残念なことに あと1回で終わりましたバッド

余命1ヶ月の期間に 主治医が4人も 目まぐるしく変わりましたよ・・・。

   


Posted by マリン at 22:34Comments(0)病院・医師

2010年11月29日

遺族の不安定な感情 2

また買い物先の 予期せぬ出来事です・・・

買い物行きたくなくなりますバッド

今回は私がレジを済ませ 品物を入れているときに 横から手ぶらで主人の知人の男性が現れました。

「ご主人さん・・・」その一言で また私は 一瞬にして硬直がーん…

以前も買い物先で細々と聞かれ 憶測で聞きたくない言葉を言われました。(評論家タイプ?) 

暗い表情で目は下を向いたまま 数秒固まっていた 私・・・ 

いつもの私なら(明るくテキパキ) 口を閉ざすなど あり得ない光景です。 

こんな表情をする自分を なぐさめたい気持ちです。

   

娘が「変装して買い物行ったら?」って・・・  それも 怪しいでしょう汗

こんな場面 交わせれば一番ですが 表現できない辛い感情が湧き上がります。

経験者なら分かって頂けますかね?

主人の母に電話で話したら やはり経験者でしたぐー

「そうよ~ 誰にも会いたくないわよ~」 「 そっとしておいて欲しいわよね」 

ほっと しましたグッド    


Posted by マリン at 00:51Comments(0)遺族として

2010年11月26日

訪問医 介護保険と医療保険の問題

訪問医の先生との初めての 訪問日を決めるのに 困ったことがありました。

医療保険と介護保険は同時に使えないという問題でした。

ショートステイを1週おきくらいに利用していたのですが ショートステイ中は診察が受けられないというのです。診察受けるには 退所しなければならないということで ショートスティの日を避けて 予定を入れました。これも 施設の方から説明されても 最初は理解できず 頭がパニックでした。

ケアマネさんに聞き ドクターに聞き・・・やっと理解しましたが、患者が苦しんでいるのに こんな制限を設けてよいものかと憤りを感じました。 辛い患者が ショートステイ中に 医師に見てもらえない??

何か異常が起きた時は 退所して家に戻り 訪問医に診てもらうか 敷地内の病院に搬送するそうです。施設の前にある病院の呼吸器内科を受診しておくようにも 施設側から言われました。それもショートステイを避けて 予約を入れました。

プリズム障害が進み 眼科に行く時も ショートステイを避けて行きました。 

なんで?どうして? ショートステイ先から行けたら 病院は近いし 移動の辛い体の本人がどれだけ助かるか・・・・

介護保険と医療保険の制度の狭間で 主人は振り回された感じでした。病人ですよ汗 難病ですよ汗 死期がいつ来てもおかしくない状態ですよ・・・がーん…

介護保険と医療保険の問題 どうにかして下さい!!!
  


Posted by マリン at 23:08Comments(0)病院・医師

2010年11月25日

ALSの名医 セカンドオピニオン 訪問医 2

次の日セカンドオピニオンの先生に報告がてら 診察に行きました。
名医はなかなか予約も取れないため 手続きに必要な診断書の全ては セカンドオピニオンの先生にお任せしていました。訪問リハビリの指示書も こちらの先生でした。 私は以前から 主治医と言って良いくらいだと思っておりました。
 
「先生 呼吸やられた・・・」
「あらあらあら・・・早いねー 血ガスはかってみましょうか・・・」
昨日の名医との診察時の話も聞いてくれて 偉い先生・研究者の医師の現状を簡単に話してくれました。
 
「もう病院来るの 無理でしょう・・・訪問してくれる先生 紹介しましょうか
 
早速連絡を入れてくれました。
その先生が信頼する先生なら・・・と 不安はなかったかも・・・

この後 その訪問医のドクターと出会う分けですが、もうとにかく感動的でした。
たまたま私が短期で仕事に通っていた 病院のすぐ近くで 
「私 場所知ってるから いってみようか」と アポも取らず ブラリ立ち寄ったのですが
たまたま 出先から帰られた先生がいらっしゃって
私の車に横になる主人の所に出てきてくださり 目の高さに腰を下げ 
「楽な姿勢でいいですよ・・・。私はALSは専門ではありませんが 一緒にがんばりましょう」と・・・

名医との決別がっあてこそ この感動的な出会いがありました

別れがあるからこそ 出会いがある 正にそうでした。

ただなんでもっと 早く訪問医に頼らなかったのか・・・?辛い身体で 病院へ行った主人を 思い出すと 胸が痛いです。その当時 残念ながら 訪問医という仕事をいまいち理解していなかったですね。 主人もかなり頑張りの効く人でしたし・・・。 ケアマネさんが 訪問医の話しをしても 我々には現実味がなく 終わっていました。
    
受診に支障の出てきている みなさん 無理をせず 是非 訪問医に 頼って下さいグッド

 

      


Posted by マリン at 23:36Comments(0)病院・医師

2010年11月25日

ALSの名医 セカンドオピニオン 訪問医 1

ALSの名医といいながら 診察は淡々としていて 冷たい感じでした。色々聞きたくても 相談できる診察ではありませんでした。逆に遺伝子検査や薬の処方も忘れていたり 大切な話しがあるはずが なかったり・・・。今の痛み止めが効かないと言ったのに 同じ薬を処方したり・・・。最後にやっとの思いで病院に行った主人の顔も見ずに 淡々とカルテを書いている姿が今でも頭から離れません。その態度を見て・・・
もう 行かない!行くもんか」 主人は切れてしまいました。
主人の寿命が もうあと1ヶ月という時期の出来事でした。

(1)呼吸が苦しくなった時に 搬送する病院をその主治医のいる病院にする。
(2)呼吸器はつけないため 事前にカルテに本人の希望を書いておく必要がある。
  (何の準備もないなら 万が一苦しいと救急車で運ばれた時 呼吸器をつけられてしまう)

数日前から ケアマネさんや病院のソーシャルワーカーさんと 延命に関する話がいよいよ深刻になっていて その日はその件で主治医から話しがあると 言われて出向きました。ただ 主治医からはその話しはなく こちらから切り出すと・・・。あっさりした言葉が・・・。 
最後に 「次の予約 どうしますか?二ヶ月先ですね」 と予約の話しがありました。
やっとの思いで 来て やっと座っている状態なのに 二ヶ月先にまた病院に来いというの??

「俺 二ヶ月先 来れるわけないだろう。 たぶん生きてない・・・。なんだあの態度。もう絶対に行かない!苦しくなったって絶対行かない!!! 」

これ以上身体が動かなくなったら・・・ どこに行けばよいのか?苦しくなったらどこに行けばいいのか? 受け入れてくれるという施設は 知人の紹介で遠い他県に1軒あるくらい。近くにはなく 途方に暮れて不安な時 主治医が 時々来ている近くの病院で受け入れが出来ると 話しがまとまっていたのに また途方に暮れてしまいました。

  


Posted by マリン at 22:33Comments(0)病院・医師

2010年11月20日

iPS細胞の研究

去年の10月末 あのT大の医師自ら 主人の携帯に連絡がありました。 主人も驚いていました。少々得意げに喜んだ声で私に電話が入りました。そう今年 ノーベル賞候補としても騒がれたips細胞の研究に 主人の細胞が欲しいと・・・の依頼でした。主人はALSの中でも 1割の家族性ALS その中でもさらに ?%の 特殊な型でしたから。

「やはり こういう話しが来るのはT大の〇〇先生の権威からだろう・・・。」
当時はT大の先生が主治医で 細かい点を指導して下さるTクリニックの先生はセカンドオピニオンと 主人は割り切っていました。(医師との問題あり やがて逆転しますが・・・)

11月はじめ 主人は 今後のために 喜んで 細胞を提供しました。
ちょっと取るだけということでしたが しっかり 筋肉は切り取られ 傷口は縫ってありました汗
「なんだバイオプシーじゃないか・・・ちょっとって言ってたのに・・・」

主人は自分は助からないだろうけど 先々の人のためになるならと 喜んで協力しました。

11月のその日が 主人が車を運転した最後でした。
後で 言っていました。「よく運転したよな~ 」正直危なかったそうです・・・びっくり
おいおいおい・・・がーん…

まあこんな無茶なことは 今までもよくありました。 
      病気が進行する最中でも懲りない こんな人でした家
  


Posted by マリン at 00:19Comments(2)ALS 病気の進行

2010年11月19日

心電図異常とストレス

主人が亡くなる 1ヶ月前に 健康診断を受けに行った私でした。心電図異常でひっかかりました汗
PQ短縮・・・これなんだっけ?」 心電図の勉強をしていましたが すっかり忘れていた私。
「大丈夫」 主人はちゃんと覚えていて 苦しいのに 私に説明を始めました。

身体は正直ですね。つまりストレスによる不整脈でした・・・汗

睡眠が足りなかったはずなのに よく朝から晩まで動いていたな~と 今振り返り感心しています。常にON状態OFFになるまで 深夜お酒を飲み その量が日に日に増え 少々自分自身の身体を心配したものです。そのお酒の影響か? HbA1cがガイドラインを少々超えて出ました。(肝機能は大丈夫で一安心)また 人生の中で一番痩せたのが この介護中で もちろん痩せすぎで指摘あり。健康体の私でしたが 40代の身体で オーバーワーク?? いいえ 肉体的にはまだまだ疲れは感じてなく 精神的疲れは 自分でもずっしりと感じていましたがーん…

娘と二人 互いの辛さをよく慰めあいました家
「ママってすごい 感心する・・・。 私は無理・・・」
そんな娘の言葉が出たのは当然でした。 16才の純粋な娘には とても納得できないことがありました。
私にも おそらく娘以上に複雑な思いがたくさんあったかと思います。でも 今どうこう言う状況でないと 
とにかく切り替えるしかないと思いましたぐーそんなエネルギーをかなり使いましたがーん…
「今 一番辛いのはパパだから・・・。 頑張れるのはママ達だから・・・辛いけど 頑張ろう」
そんな言葉をよく力強く 言っていましたぐー
本人の辛さとは 比べ物にならないかとは思いますが 我々なりに 辛いものは辛かったですバッド 
辛かったです・・・
    

  


Posted by マリン at 00:51Comments(0)介護

2010年11月15日

最後の動画

娘が何を思い立ったのか・・・「パパとママの話してるとことろ 入れたはずなんだけど消えちゃったかな~」とパソコンをやり始めました。「え?いつの間に撮ったのびっくり??」

そうデジカメには 娘が撮った 我々夫婦の場面が何枚かありました。自然体の夫婦の姿でした。
そればかりか 動画があるなど 今 初めて知りました。
「あ あった・・・ほら」 と もう既にうるうるしてる娘がーん…
5年以上の溝がありましたから 貴重な夫婦の場面ですキラキラ


主人の傍らで私が 教材を開いて 心電図のことを聞いています。
目を閉じて かすかな声で 私に心電図の説明をしています。
このころは 無声音でしか 苦しくて会話が出来ませんでした。
家族と一部の親友以外は 面会謝絶の時期です。亡くなる10日ぐらい前・・・・

私にとって 主人はこんな時でも 先生でした。  

なぜ心電図か??・・・それはまた後ほど・・・汗


  


Posted by マリン at 00:10Comments(0)夫婦

2010年11月14日

遺族の不安定な感情

未亡人として?遺族として 味わっている辛い場面がありますがーん…

時も流れ 大分自分から サラリ 「実は 夫を亡くして・・・」と話せるようにはなっていますが
そんな時もあれば 買い物先で久々に出会った知人から 「ご主人のこと聞きました・・・」と声をかけられ 思わず 表情が強張り (お願いだから その話しはしないで!!)と 心が叫ぶことも。先日も わざわざ混雑する時間帯を避けて買い物に出向き そそくさと品物を詰めていると 目の前にしばしお会いしていない知人が現れて 挨拶も間々ならぬうちに 「ご主人・・・・」と 語り掛けられましたがーん…

私の目は 下を向いたまま 顔を上げられず 硬直状態・・・・がーん…
主人の話題を 買い物先でまで 聞きたくない思いやら汗
とにかく言葉にならない 詰まる思い・・・汗

ご主人を亡くして 引きこもってしまった 未亡人の方のお話も聞きますが 
私は幸いにも 仕事復帰をして 普通に過ごせてはいます家

でも こんな予期せぬ場面で どうしようもない感情に襲われています汗

主人が亡くなり 半年以上が過ぎました・・・家  


Posted by マリン at 01:47Comments(0)遺族として

2010年11月07日

セデーション(苦痛を感じないように・鎮静)

先日 施設から頂いた看護士さんの書いた「看取り経験談」の中に セデーション という文字がありました。なんぞ?と検索してみました。

意識レベルを下げて苦痛を感じないようにすること・ 鎮静
参考 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~shimizu/cleth-dls/euthanasia/sedation.html

なるほど・・・ モルヒネを使えないため コントミン ホリゾンを使用した意味がはっきり分かりました。 二つが 強力な精神安定剤であり睡眠導入の効果があることは調べましたが こんな目的があったとは・・・
あの時の説明では「モルヒネと似たような薬をつかいます」と説明されました。
コントミン→http://www.naoru.com/contomin.htm
ホリゾン→http://akatan.cool.ne.jp/koufuanyaku.htm

セデーション・・・安楽死との問題も書かれていましたが
こんなことも 調べておけば良かったがーん… と思いました。

おそらく 医療従事者は 一般人の我々がここまで理解は出来ないと思い 簡単に説明したのでしょうが
もっと聞いて 調べておきたかったという後悔の念が 今頃沸いてきました・・・バッド

苦痛から逃れるために モルヒネ ぐらいしか浮かびませんでした。知識不足でした・・・汗

そもそも 主人は自分のお父さんの最期が 苦しまず眠るようだった場面を よく語っていました。
「昏睡状態になれば 苦痛はないんだよ」 と 自分の迎える死も 父のように苦しくないと思い込んでいたようです。私も そんな話しを聞いて主人が迎える末期は静かなのではないか?とちらり思っていました。まずあの介護の最中 死の場面を想像することは ほとんどありませんでした。未知の世界ですから 憶測で苦しむことはしたくないと その時その場面を対処するしかないとも思っていました。色々手際よく 介護体制を整えたつもりでいましたが 肝心な末期の場面での知識不足と準備不測に 今・・・後悔しています。  

そういう意味では ALSの皆さんに我々の経験を伝える 必要がありますグッドグッド

辛い内容かも知れませんが 是非我々の経験を参考にされて 少しでも末期の苦痛から 皆さんが逃れられますように・・・。 

  


Posted by マリン at 13:56Comments(0)ALS 病気の進行

2010年11月06日

モルヒネの問題 医師の対応

モルヒネの問題など あの時説明されても あの後説明されても
いまいち理解出来ませんでした。今でもよく分かりませんが・・・

主人を見送ってまもなく 主人の信頼していたセカンドオピニオン いや我々にとったら主治医キラキラの先生のクリニックを訪ねました。大学病院の主治医とは 問題があり もう二度と行かないと 主人が激怒(問題は後ほど )。誰に報告したいか? 迷わずこちらの先生と 先生が紹介して下さった訪問医の先生の所に足が向いていました。

まさか お忙しい診察の合間 先生にお会いできるなど思いもしませんでした。
主人の経過をパソコンでつづり お手紙として準備し それを受付を通して渡せればと・・・。

すると受付の方が 
「先生がお会いしたいので 待っていてくださいって・・・」 
先生に直接お会いできるなんて・・・感激でした。さすがプライドの高い主人が信頼した先生ですグッド

診察が終わり? 

「〇〇さーん」 と 先生が扉を開けて下さいました。相変わらず気さくな先生ですにこにこ
お手紙を目を通しながら 
「最期どうでした?」
「先生・・・苦しんだんです。」
「やっぱり・・・」
モルヒネ使いたいと言っても 使わせてもらえなくて 」
「使ってあげれば患者さんも楽なのに・・・。我々も使えるように
 がんばってるんだけど・・・。」
モルヒネは末期癌の患者さんに 痛みから楽にするために使われるのは有名ですがALSの場合 認められていないようでした。

参考→http://d-inf.org/drug/morphine.html
 

  


Posted by マリン at 23:26Comments(0)ALS 病気の進行

2010年11月04日

モルヒネの問題2 最期の記録

主人の容体が急変した日の記録を眺めました。しみじみ眺めるとその日の朝は
SpO2 91%(前日まで 96%~94%)  体温35.8 (前日は36.7) 
 脈拍60~70拍ぐらいが この日は101拍。   
血圧126/86・・・もともと血圧の低い人が施設利用の記録から やや高めであったことが分かりました。
この日は確実に 数値が異常でしたがーん…看護士さんたちはもしかしたら 気付いていたのかも・・・死期が近いことを・・・。私はこのノートの記録にはっとしたのは 少し前のことでした。
この日の夜中にはもう 返らぬ人になっていました。

朝10時ごろ苦しいとのことで 酸素をつけたそうで 私がかけつけた時は 「余計苦しい」と酸素を外していました。

昼過ぎて 喋ることも 片言がやっとになりました。
苦しい 熱い 寒いの繰り返し・・・ 焼けるように背中が熱いと
数分刻みで 布団をかけたり うちわで扇いだりが始まりました。

「もう良いだろう・・・」

モルヒネ 頼む・・」

もう耐えるのに限界が来たようでした。

ただモルヒネは この施設にはなく 午後 コントミンという 点滴が始まりました。

「ダメだ 全然効かない」

モルヒネ 使う」

施設内はバタバタと してきました。 

私が呼ばれ モルヒネはそう簡単に出せる薬ではないので 病院側とこれから交渉すると説明を受けました。

施設の目の前に 病院がありました。

数時間過ぎ やっと回答が来るまで

「まだか?」何度も 要求がありました。

「熱い」 「寒い」 「まだか」 「効かない」 その繰り返しでした。

4時ころ 娘が学校から タクシーでかけつけ・・・主人の母親がかけつけ・・・ 私の母がかけつけ・・・

私がやっと ナースステーションに呼ばれた時は もう暗くなっていました。 

医師 「やはり この施設ではモルヒネは使えないんです」
私   「もう楽になりたいって 本人も言っています。先生楽にさせてあげて下さい」
医師 「・・・・それに似たような 薬を今から使います」

そう言って 私が署名にサインをし 看護士さんが 哀れな顔つきで 主人の点滴に ホリゾンという薬を入れ始めました。

少し経つと 眠ったように 規則正しい 呼吸の音だけが聞こえだしました。

「どう?楽になった?」

「・・・」  言葉はなく コクリとうなづきました。



こうなる前に 施設側がモルヒネを準備しておけば ここまで主人は苦しまずに済んだことを 先日の施設訪問で知りました。

でも 仕方ないですよ・・・。毅然と モルヒネは使わないと 言い張っていたのは主人なんですから・・・

今後の課題は その時はそうでも 使いたくなる時がくるかもしれないという想定で 準備しておくことでしょうか??

 


   


Posted by マリン at 22:03Comments(0)介護

2010年11月02日

14年ぶりの再会

娘の買い物に付き合い ふと 愛ネコのトイレマットが切れていることを思い出しました。
閉店間際の ペットショップに飛び込みました走る

すると目の前に 数秒目が合ったお客さんがいました。軽く会釈されたのですが まさか知りあいとは 私の方は全然気付かず さーっと通り過ぎました。

買い物かごに品物を摘め レジに向かうと またさっきのお客さんが目の前に・・にこにこ
そう 14年前 以前住んでいた借家のお隣に住んでいた家族の息子さんびっくりでした。
お父様と「お母様には それはそれはお世話になりました。お食事を一緒にしたことも何回かありました。

「えー??いまいくつになったの??」
「33歳です」
「えー??全然分からなかった あのころは・・・・」
「19歳です」
脳裏に浮かぶ彼は 中学生・・・そして高校生・・・。学生服を来て 自転車で高校に通っていた姿
娘が生まれる時も お隣さんが心配して 顔を出してくれました。娘を泥んこで遊ばせている姿もお隣さんはよく見たでしょう。また夜中から早朝 家の前で 車で寝ている主人を汗 お隣のご主人さんは よく起こしてくれましたしーっ汗

33歳になった 彼の側には 可愛い奥様がいましたにこにこ今は お隣の県に住んでいるとのこと・・・

「ご主人さんのこと聞きました」
14年経った今でも 共通の知人がいて 彼の耳にも届いたのは不思議ではありません
「何の病気だったんですか??」
「難病で ALSってわかる?」
「あびっくり〇〇さんと同じ・・・」 急に隣の 奥さんから声がでました。

彼らの親しい知人が ALSで両手が動かないと知らされましたがーん…
(あ・・・うちの主人と同じ進行汗
偶然立ち寄ったお店で 14年ぶりに会い その知人が同じALSとは・・・がーん…
偶然にしては 不思議でたまりません家









 
  


Posted by マリン at 22:30Comments(0)遺族として

2010年11月02日

モルヒネの問題

ボルタレンが使用できなくなり  主人は自力で耐えていましたがーん…

先日 しみじみ読み直した 施設の「家族への連絡ノート」にはっとしましたびっくり

「ボルタレン使用は本人の希望でOFFとし 対処しています。痛みは自制内ということでしたが・・・医師と相談して 胃薬と鎮痛剤を検討して頂ければと思います。左肩自然脱臼時に痛みが増強しています」

ボルタレンを中止した主人は 違う鎮痛剤を求めていましたが・・・本人と施設側 医師との間で 上手く話しが進まず主人が怒っていたことを思い出します。 短い期間お世話になった主人が心開いた訪問医に どうにか助けてほしいと電話したこともありました。ただ 施設入所した以上 主治医はその施設の医師で 今までお世話になった訪問医は施設には入れないのです。受診する時は 施設を退所しなければならないとか・・・医療保険と介護保険は同時に使えない など 日々分からないことばかりで 納得いくように説明を仰いだり 妻の私の頭も満杯の時期でした。 鎮痛剤の交渉をしている間に・・・主人の病状は家族との会話がやっとになり 他の面会は本当に主人が会いたいという人以外 止めました。

モルヒネの話しもでていました。主人は家族と会話も出来なくなると 断固として拒否。

「その後の辛さを ご主人さんは予想してなかったようです。苦しまずに息を引き取ったお父さんの姿イメージしていたのでしょう・・・。あの時 モルヒネを準備していたら 要求された最期の時に使えたんです。あの時準備していればよかった・・・」
先日訪問した 施設で 看護師長から そんな話題が出ました。
あの最後の日 主人がそこまで拒んだモルヒネを しきりに懇願しましたが 結果として使用が認められませんでしたがーん…
   

確かに 主人はお父さんの姿をよく語り 自分は呼吸器にはこないと思い込んでいました。

SPO2の記録を見ると 1月初めの記録は 95% 94%・・・・
ぜんそくが起きたときで97%と聞きました。既に呼吸器がやられていたのですがーん…  


Posted by マリン at 21:40Comments(0)ALS 病気の進行

2010年11月01日

痛み止めについて

硬縮の痛みに合わせて頂いた ミオナール 確かに飲むと楽になると話していました。肩こりの方にも処方される薬だと知り 薬に頼る社会の現実に悲しくなりました。運動すれば走る肩こりなんて ほぐれるのに・・・汗

痛み止めの必要を訴え始め インテバンを処方されたのが1月?
それでも効かないと ボルタレンを要求したのが2月初め

ただボルタレンは数回飲んだだけで 胃をやられ ゲップとガスがでて 2月のショートスティでは 食事が出来ないほど苦しんでいました。さっぱりした物なら 入るとのことで 家からさっぱりしたサラダを持って行ったりイチゴをつぶしてミルクをかけて 口に入れてあげたり・・・見舞いにくる方々にも 食べられないので・・・と説明したり・・・。 ある主婦の主人ファンの方は 柑橘系の果物を剥いて届けてくれました。 ありがたかったですキラキラ

ただ主人をよく知る男性の友人は 主人の好物だからとハンバーガーを差し入れてくれて・・・
もちろん甘い物 も どっさり届きましたがプレゼント この時ばかりは 食べることが出来ませんでしたバッド (私と娘が美味しく頂きましたキ<br />
ラキラご馳走様でした)

新婚当初?珍しく風邪で熱が出た時  「これ食って治すぞーぐーと 大好物のカレーお替りして食べていた たくましい主人が この病気には打ち勝てない無力な現実でしたがーん…

ボルタレンは中止したものの その副作用には1週間くらい?苦しみましたがーん… 
そのころ 付き添った施設のトイレで まだどうにか自力でしゃがんだ主人の姿ぐーを思い出します。 カーテンの向こうから ながーい ガスの音が聞こえてきました。「なあ すごいだろう汗?」 
主人は家でオナラをしない人でしたから家 私が聞いた我が夫の 最初で最後の まともなオナラですぱー

残りわずかな夫婦の時間の ほのぼの秘話ですにこにこ 


  


Posted by マリン at 22:27Comments(0)ALS 病気の進行