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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2018年01月17日

障害者施設訪問、支援者支援



障害者施設に足を運ぶ機会がありました。
話しの流れから
『私、仕事柄、身体動かしているから、毎晩熟睡なんです』
と言った瞬間『え!?』飛び付くような眼差しびっくり

眠れない方々が多いらしい(--;)
薬を常用してる方がほとんどとか。
運動療法はメンタルケアにも睡眠障害にも有効で、
医学的にその効果が認められていますぐー

手を差し伸べる場所はこんな所ににもあったのですね。
必要とされるところに行くことは本望!と熱い思いがこみ上げて来ました。

そして、障害者本人でなく、それを支える支援者支援も必要であること!
まさに!私自身が経験して来た介護、障害者支援。
支援者が元気でいないと支えられないじゃないですか…。
身を持って痛感しています。

家族の皆さん、一人で抱え込まないで下さいぱー
支援者を労り、手を差し伸べてくれる専門家、仲間はたくさんいます笑
  


2017年12月11日

無理しないとやっていられない介護、夫婦・・・

ご無沙汰をしています。

コメントを下さった方々・・・ 本当にごめんなさい。
お返事できなくて・・・
時々コメントやアクセス数はチェックしています。
読んでくださる方いるんですね。

書きたいこと山のようにあり また下書きしたままの記事も残っています。
娘の記事は公開をやめ保存にしました。

いまでも娘とは 主人の話題が出て なにげに喋って、姿はなくてもいるような感覚もあります。
「パパだったらこうしただろうね。」「・・・・こう言っただろうね」
結構笑えたりします。

反面、外に出て主人の話題になると、逃げ出したくなることがあります。
思い出したくないこともあります。辛いこともあります。

このブログではあまり詳しく書けないことも多々あります。
ノンフィクションですが、美化した記事に仕上がっているかと・・・


介護してる皆さん、介護って、夫婦の形って、家族って
そんな綺麗事では済まないこと 重々経験しています。
無理しないでね・・・そう言われても 「無理しないとやっていけませんぐー
頑張りすぎないでね・・・「頑張らないとやって行けませんぐー

今でも家族の悩みで相談を受けることが多いですが
介護される側、する側・・・家
みなさん それぞれ頑張って頑張りすぎながら 
辛いのに投げ出したい時もあるでしょうに 毎日一生懸命生きておられるとしみじみ思います。

今年の初めに実の父を亡くしました。
老衰でしたが、日々機能を失っていく身体、朽ちていく身体・・・
でも父は一生懸命 私たちに何かを伝えたくて声にならない唇で語っていました。

人の死を経験し またたくさん教えられました。 

「生きるって楽じゃないんです。・・・しんどいんです」 
そう患者さんに語っていた精神科医の言葉を時々思い出します。
その言葉が支えにもなっている私。
周りからは好きな仕事をしてキラキラしてるとも言われますが・・・

まだまだ大変な事情あり・・・
同じような境遇の方には話したり、慰め合ったり、励まし合ったりは力になり・・・
仕事が発散と充電にもなり、どうにか落ち込まないでやれてる感じの毎日。

ある時「好きな仕事ができるって恵まれているよ笑と言われ、
(あーそうか・・・できない人もいるのに比べたら確かに幸せハート
そう気づかせてくれた従姉妹に感謝グッド

辛いなーと思う方が 少しでもほんの一瞬でも元気になってくれたらいいなと思い
また自分の心の整理をする意味でも書いてみようかな・・・。










  


2011年06月09日

難病治療 ips細胞の研究ニュース

今朝 京都大の山中教授のiPS細胞の研究ニュースが流れましたねびっくりあれから どうなった??
 ノーベル賞候補のあたりから 情報が止まっていました。


がん化危険性低減グッドそれは進歩グッド
http://sankei.jp.msn.com/science/news/110404/scn11040408380000-n1.htm

久々に検索すると 難病の治療薬を開発するために 共同研究が始まってるんですね。http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110426/biz11042608130018-n1.htm

 記 事

京都大iPS細胞研究所と大日本住友製薬は25日、難治性希少疾患の新規治療法の創出などを目指し、5年間にわたり共同研究に取り組むための契約を締結したと発表した。研究期間は今年3月~平成28年3月。期間中の共同研究経費2千万円は大日本住友製薬が負担し、それ以外の経費は折半する。

 遺伝子の変異に起因する難治性希少疾患に焦点を当て、患者からつくった人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用い、病気が進行するメカニズムを解明して治療薬の創出などにつなげる。対象疾患名は未公表。大日本住友製薬側から共同研究を申し入れ、3月7日に契約締結したという。

 京大iPS細胞研究所と国内の民間企業との共同研究は公表ベースで、島津製作所に次ぐもの。同社はiPS細胞の遺伝子の働きなどについて今年1月から共同研究を始めているが、同研究所では「非公表のものが複数あり、中には製薬企業もある」(国際広報室)としている。

 同研究所は昨年4月、iPS細胞に特化した世界初の中核研究機関をうたって設立。研究者や職員ら約250人が所属し、所長はiPS細胞を発見した山中伸弥教授が務めている。


薬が出来て 治せたらいいですよねぐー
または 発病を止められたらぐー

主人の細胞はどうなってるんでしょう?

考えると不思議・・・
  


Posted by マリン at 18:21Comments(0)ALS 病気の進行

2011年03月01日

ALSと花粉症 咳 くしゃみ

去年は花粉が少なく 救われたと思いましたグッド
今年だったら 主人がどれだけ 辛かったか・・・がーん…

年末から コン・・・コン・・・と 軽い咳をしていました。
いいえ 軽い咳ではなく 腹部の筋萎縮で 力が出なかったのです汗

鼻をかむときも(私がテッシュを鼻にあてる)それは まるで息む様に頑張っているのですが フーン汗と弱々しい音しかでませんでした。
なんてことのない 鼻かみが 大変な作業になっていました。

くしゃみだってそうです。 ハッ・・クシュン ではなく 小さな音で クシュ・・・汗 本人にとったら 出したくても 出せないのです。

本当に今年でなくてよかったです・・・花粉症の薬は  どっさり頂き飲みましたが 症状は大したことはなく過ぎました。


私も娘も 今年は 二月半ばを過ぎ 先日の春一番から ぐしゅぐしゅの かゆかゆですバッド


  


Posted by マリン at 22:40Comments(0)ALS 病気の進行

2011年02月27日

可動域改善 硬縮予防のストレッチ

筋萎縮のよる可動域制限 硬縮の痛みを改善するために 行ったこと(保存していた記事)

 マッサージ ストレッチは  効果があり大分楽になると 本人と私とで実施
 主人も元は体育教師 運動に関しては専門知識もあり 実践で行っていました。
 私もこの関係の仕事で 互いに研究しながら 様々な手技を試しました。
動かない腕を上げたり 引いたり 押したり 私の筋力では 結構疲れました。
私の留守中は 一人でぶらぶら振ったり ベットに引っ掛けてストレッチしたり
1時間ぐらいはやってると 話していました。

忙しい私に気遣ってか 私がいても 娘に頼んでいる場面もありました。
でも経験がなく 加減が分からない娘のマッサージには 「いて~」と騒いだり
娘も機嫌が悪くなったり 親子喧嘩になったり 悪循環ではありました。

夫婦も馴れ合いになれば 喧嘩したって当然でしょうが 我々夫婦には 普通の夫婦にない気使いがありました・・・。破局問題は抜きにしても ありました。悪い意味でなく いい意味でかな・・・?う~ん どうなんだろう??

過去の問題は なるべく思い出さないようにして 病気と闘っている主人に出来る限りのことをやってあげようと思いました。腕を持ち上げる時も どの角度までなら痛くないか 一つ一つの動きを ゆっくり慎重に行いました。実際に訪問リハに来たPT・OTさんの手技を見せてもらい 真似もしてみました。全くの素人ではないので 多少それもどきは出来ましたが・・・とても専門家みたいに 上手くは行きませんでした。でもそれだって家でやってくれる人がいて 主人は恵まれていたのではないでしょうか?






    


Posted by マリン at 00:18Comments(0)ALS 病気の進行

2011年02月04日

主人の通院の記録から

主人の通院した記録 保健所での手続きの諸々の資料の整理もしました。
でも これはまだ処分せず 参考に残しておきます。
なんせ 短い間に 難病のこと 手続きのこと 支援のこと 私が学んだ記録ですグッド
誰かに相談された時にも 役立てようと思いますにこにこ


4月末から7月にかけて 大学病院で 検査のために通院した記録。
MRI 筋電図 最後に遺伝子検査・・・。私に黙っていた間の記録がありました。

そしてあの再会の日(6/19)に ALSとはっきり言われず 筋ニューロン障害と言われました。その後の 遺伝子検査(7月)は陰性と出たからと 遺伝じゃないと言われ 大分後の10月末に やはり遺伝でした報告があった訳です。大学病院側にも いや こちらのドクターにも 振り回された感じです汗診察は 淡々としていましたし・・・汗

もう少し前の記録を見てみました。
大学病院受診以前のセカンドオピニオンの先生の初診(4/10)の記録がありました。
主人の問診の記録がずらりパソコンでうたれてあり 最後に
遺伝性の運動ニューロン病が疑われる」と 書かれてありました。

検査しなくても 先生は見抜いていたのですね・・・その記録の細かいこと。
ドクターの顔を思い出しながら 感心して読んでみました。

でも 主人本人は それより前の3月に 自分の父親の症状にあった筋攣縮を自分の身体に見つけ
「親父と同じ病気だ・・・がーん…」と 辛い現実に気付いていたそうです。(筋攣縮 これは震えではなく 不規則にピクッ ピクピクと痙攣した状態でした)

その翌年には 返らぬ人となり そして もうすぐ1周忌になります・・・家

  


Posted by マリン at 23:50Comments(0)ALS 病気の進行

2011年01月07日

衛生面 身体の匂いのケア

ふと 石鹸で手を洗った時のこと・・・ ふと主人を思い出しました家

腕が動かなくなると 指と指はくっついたまま。わきの下もくっついたまま・・・汗
空気が通らないと 汗臭くなると 主人は気にしていて お風呂や それ以外でも
指と指の間 よく洗ってくれるか? 臭くなるのいやなんだ・・・」と 頼んで来ました。
仲良く 手を握るようにして 石鹸で洗いましたぱー
脇の下は デオドラントスプレーもよく 使いました。

ショートスティ中は お風呂が週2回だけでしたから 合間 濡らしたタオルで拭いたり
デオドラントスプレーを 脇ばかりでなく 股間にも・・・にこにこ

お風呂は 男性スタッフにお願いしましたが・・・
「〇〇くんは 股間 よーく洗ってくれて 今日はさっぱりしたよ。女性スタッフじゃ 
さすがに ここ洗ってとは言えないからね・・・汗

主人は 若手の男性スタッフ(介護福祉士)に 上手に甘えていました。

ただある日  「男性スタッフいなくなっちゃうので 女性スタッフになります」 
と言われた時は ちょっとがっかり・・・バッド でも 開き直りも早かったですグッド
「うん 仕方ないグッド

自分の身体の状態をよく認め  よく病気と共に生きましたぐー 



  


Posted by マリン at 01:08Comments(0)ALS 病気の進行

2010年11月20日

iPS細胞の研究

去年の10月末 あのT大の医師自ら 主人の携帯に連絡がありました。 主人も驚いていました。少々得意げに喜んだ声で私に電話が入りました。そう今年 ノーベル賞候補としても騒がれたips細胞の研究に 主人の細胞が欲しいと・・・の依頼でした。主人はALSの中でも 1割の家族性ALS その中でもさらに ?%の 特殊な型でしたから。

「やはり こういう話しが来るのはT大の〇〇先生の権威からだろう・・・。」
当時はT大の先生が主治医で 細かい点を指導して下さるTクリニックの先生はセカンドオピニオンと 主人は割り切っていました。(医師との問題あり やがて逆転しますが・・・)

11月はじめ 主人は 今後のために 喜んで 細胞を提供しました。
ちょっと取るだけということでしたが しっかり 筋肉は切り取られ 傷口は縫ってありました汗
「なんだバイオプシーじゃないか・・・ちょっとって言ってたのに・・・」

主人は自分は助からないだろうけど 先々の人のためになるならと 喜んで協力しました。

11月のその日が 主人が車を運転した最後でした。
後で 言っていました。「よく運転したよな~ 」正直危なかったそうです・・・びっくり
おいおいおい・・・がーん…

まあこんな無茶なことは 今までもよくありました。 
      病気が進行する最中でも懲りない こんな人でした家
  


Posted by マリン at 00:19Comments(2)ALS 病気の進行

2010年11月07日

セデーション(苦痛を感じないように・鎮静)

先日 施設から頂いた看護士さんの書いた「看取り経験談」の中に セデーション という文字がありました。なんぞ?と検索してみました。

意識レベルを下げて苦痛を感じないようにすること・ 鎮静
参考 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~shimizu/cleth-dls/euthanasia/sedation.html

なるほど・・・ モルヒネを使えないため コントミン ホリゾンを使用した意味がはっきり分かりました。 二つが 強力な精神安定剤であり睡眠導入の効果があることは調べましたが こんな目的があったとは・・・
あの時の説明では「モルヒネと似たような薬をつかいます」と説明されました。
コントミン→http://www.naoru.com/contomin.htm
ホリゾン→http://akatan.cool.ne.jp/koufuanyaku.htm

セデーション・・・安楽死との問題も書かれていましたが
こんなことも 調べておけば良かったがーん… と思いました。

おそらく 医療従事者は 一般人の我々がここまで理解は出来ないと思い 簡単に説明したのでしょうが
もっと聞いて 調べておきたかったという後悔の念が 今頃沸いてきました・・・バッド

苦痛から逃れるために モルヒネ ぐらいしか浮かびませんでした。知識不足でした・・・汗

そもそも 主人は自分のお父さんの最期が 苦しまず眠るようだった場面を よく語っていました。
「昏睡状態になれば 苦痛はないんだよ」 と 自分の迎える死も 父のように苦しくないと思い込んでいたようです。私も そんな話しを聞いて主人が迎える末期は静かなのではないか?とちらり思っていました。まずあの介護の最中 死の場面を想像することは ほとんどありませんでした。未知の世界ですから 憶測で苦しむことはしたくないと その時その場面を対処するしかないとも思っていました。色々手際よく 介護体制を整えたつもりでいましたが 肝心な末期の場面での知識不足と準備不測に 今・・・後悔しています。  

そういう意味では ALSの皆さんに我々の経験を伝える 必要がありますグッドグッド

辛い内容かも知れませんが 是非我々の経験を参考にされて 少しでも末期の苦痛から 皆さんが逃れられますように・・・。 

  


Posted by マリン at 13:56Comments(0)ALS 病気の進行

2010年11月06日

モルヒネの問題 医師の対応

モルヒネの問題など あの時説明されても あの後説明されても
いまいち理解出来ませんでした。今でもよく分かりませんが・・・

主人を見送ってまもなく 主人の信頼していたセカンドオピニオン いや我々にとったら主治医キラキラの先生のクリニックを訪ねました。大学病院の主治医とは 問題があり もう二度と行かないと 主人が激怒(問題は後ほど )。誰に報告したいか? 迷わずこちらの先生と 先生が紹介して下さった訪問医の先生の所に足が向いていました。

まさか お忙しい診察の合間 先生にお会いできるなど思いもしませんでした。
主人の経過をパソコンでつづり お手紙として準備し それを受付を通して渡せればと・・・。

すると受付の方が 
「先生がお会いしたいので 待っていてくださいって・・・」 
先生に直接お会いできるなんて・・・感激でした。さすがプライドの高い主人が信頼した先生ですグッド

診察が終わり? 

「〇〇さーん」 と 先生が扉を開けて下さいました。相変わらず気さくな先生ですにこにこ
お手紙を目を通しながら 
「最期どうでした?」
「先生・・・苦しんだんです。」
「やっぱり・・・」
モルヒネ使いたいと言っても 使わせてもらえなくて 」
「使ってあげれば患者さんも楽なのに・・・。我々も使えるように
 がんばってるんだけど・・・。」
モルヒネは末期癌の患者さんに 痛みから楽にするために使われるのは有名ですがALSの場合 認められていないようでした。

参考→http://d-inf.org/drug/morphine.html
 

  


Posted by マリン at 23:26Comments(0)ALS 病気の進行

2010年11月02日

モルヒネの問題

ボルタレンが使用できなくなり  主人は自力で耐えていましたがーん…

先日 しみじみ読み直した 施設の「家族への連絡ノート」にはっとしましたびっくり

「ボルタレン使用は本人の希望でOFFとし 対処しています。痛みは自制内ということでしたが・・・医師と相談して 胃薬と鎮痛剤を検討して頂ければと思います。左肩自然脱臼時に痛みが増強しています」

ボルタレンを中止した主人は 違う鎮痛剤を求めていましたが・・・本人と施設側 医師との間で 上手く話しが進まず主人が怒っていたことを思い出します。 短い期間お世話になった主人が心開いた訪問医に どうにか助けてほしいと電話したこともありました。ただ 施設入所した以上 主治医はその施設の医師で 今までお世話になった訪問医は施設には入れないのです。受診する時は 施設を退所しなければならないとか・・・医療保険と介護保険は同時に使えない など 日々分からないことばかりで 納得いくように説明を仰いだり 妻の私の頭も満杯の時期でした。 鎮痛剤の交渉をしている間に・・・主人の病状は家族との会話がやっとになり 他の面会は本当に主人が会いたいという人以外 止めました。

モルヒネの話しもでていました。主人は家族と会話も出来なくなると 断固として拒否。

「その後の辛さを ご主人さんは予想してなかったようです。苦しまずに息を引き取ったお父さんの姿イメージしていたのでしょう・・・。あの時 モルヒネを準備していたら 要求された最期の時に使えたんです。あの時準備していればよかった・・・」
先日訪問した 施設で 看護師長から そんな話題が出ました。
あの最後の日 主人がそこまで拒んだモルヒネを しきりに懇願しましたが 結果として使用が認められませんでしたがーん…
   

確かに 主人はお父さんの姿をよく語り 自分は呼吸器にはこないと思い込んでいました。

SPO2の記録を見ると 1月初めの記録は 95% 94%・・・・
ぜんそくが起きたときで97%と聞きました。既に呼吸器がやられていたのですがーん…  


Posted by マリン at 21:40Comments(0)ALS 病気の進行

2010年11月01日

痛み止めについて

硬縮の痛みに合わせて頂いた ミオナール 確かに飲むと楽になると話していました。肩こりの方にも処方される薬だと知り 薬に頼る社会の現実に悲しくなりました。運動すれば走る肩こりなんて ほぐれるのに・・・汗

痛み止めの必要を訴え始め インテバンを処方されたのが1月?
それでも効かないと ボルタレンを要求したのが2月初め

ただボルタレンは数回飲んだだけで 胃をやられ ゲップとガスがでて 2月のショートスティでは 食事が出来ないほど苦しんでいました。さっぱりした物なら 入るとのことで 家からさっぱりしたサラダを持って行ったりイチゴをつぶしてミルクをかけて 口に入れてあげたり・・・見舞いにくる方々にも 食べられないので・・・と説明したり・・・。 ある主婦の主人ファンの方は 柑橘系の果物を剥いて届けてくれました。 ありがたかったですキラキラ

ただ主人をよく知る男性の友人は 主人の好物だからとハンバーガーを差し入れてくれて・・・
もちろん甘い物 も どっさり届きましたがプレゼント この時ばかりは 食べることが出来ませんでしたバッド (私と娘が美味しく頂きましたキ<br />
ラキラご馳走様でした)

新婚当初?珍しく風邪で熱が出た時  「これ食って治すぞーぐーと 大好物のカレーお替りして食べていた たくましい主人が この病気には打ち勝てない無力な現実でしたがーん…

ボルタレンは中止したものの その副作用には1週間くらい?苦しみましたがーん… 
そのころ 付き添った施設のトイレで まだどうにか自力でしゃがんだ主人の姿ぐーを思い出します。 カーテンの向こうから ながーい ガスの音が聞こえてきました。「なあ すごいだろう汗?」 
主人は家でオナラをしない人でしたから家 私が聞いた我が夫の 最初で最後の まともなオナラですぱー

残りわずかな夫婦の時間の ほのぼの秘話ですにこにこ 


  


Posted by マリン at 22:27Comments(0)ALS 病気の進行

2010年10月31日

睡眠について

病気の進行と 睡眠についての 振り返りです

スーツのまま真冬の車の中で朝まで寝ていた たくましい主人が 人生初の寝むれない辛さを味わっていました。家の中で 毎朝主人が1番に起きてるなんて まず結婚生活であり得ない 信じられない光景でした。

机の上だろうが 椅子に座ったままでも 朝まで 熟睡できた人です。 布団に寝せようと起こしてもまず無理でした。数年は私も努力しましたが 無駄な抵抗で 長年 主人の寝床は 布団ではありませんでした。それだけ 仕事にも走る趣味にも走る 遊びにも走る エネルギーを全力投球で使い まるでブレーカーが落ちたようにバッド眠り込んだ人でした。

そんな 生活もよくなかったのではないでしょうか?? 食事も ジャンクフード大好きでしたしがーん…・・・野菜も好きで家では栄養満天の料理をつくりましたが 外では 菓子パン コンビ二の調理パン 甘いもの マクドナルド フルーツ系のデザートは ボール一杯食べたくらい 甘党でした汗

でもそんな 不規則極まる生活でも 風邪はひかないしグッド 丈夫晴れだったのは 不思議でたまりません。

夏は 出長先の夜のミーティングを休ませてもらっていました。「だるい・・・熟睡できない。」よく言っていました。筋練縮が続くということは 休む暇なく ずっと運動している状態。 身体を動かす仕事が 返って病状を進ませるなど分かったのは11月ですから 去年の夏は 山を歩いたり 毎日のように運動をしたりしていました。  
   
夜も「お休み」と部屋の明かりを消すと・・・ 「どうせ寝れないから・・・」と 目だけを閉じた秋から冬・・・。
でも・・・声をかけると 返答もなく うつらうつら 寝ていたようではありました家
睡眠剤を使い始めたのは 1月だったか・・・薬を全部 施設で処分してしまい はっきり覚えていませんがマイスリー錠を飲み始めていました。

2月は それもあまり効かないと レンドルミンが処方されました。
マイスリーよりは 少し時間が長く眠れたようです

  


Posted by マリン at 14:05Comments(0)ALS 病気の進行

2010年10月19日

篠沢教授のALS  教育テレビより   

17日の 深夜11時からの 福祉ネット ご覧になられましたか?
ピッタシカンカンで 御なじみだった 篠沢教授の人口呼吸器を付けての生活・・・

驚きましたびっくり人口呼吸器をつけているのに 手も動いて 字も書けるし 時々呼吸器を外して 歩いていましたね。パソコンで執筆活動を続けて本も出しています・・・

私の主人じゃ 考えられない 全く違う進行です。ALSの進行は 本当に色々あるものだと実感しました。
主人の場合 手→目→足と呼吸器という順番でしたから 呼吸器つけたところで 字もかけなかったでしょうし 歩くことも 出来なかったでしょう。

身体が元気で 呼吸器から来たらどうする??ちょっと考えさせられました汗
延命はしないぱー 主義の我々家族・・・
どもそれが娘だったら・・・??  余計な心配はやめよう・・・
   


Posted by マリン at 23:28Comments(3)ALS 病気の進行

2009年11月09日

プリズム障害   10月25日  

この病気のせいなのか?

強い薬を飲みはじめて、症状が出る人もいるとか・・・?  副作用???

めがね屋さんで「プリズム障害」と言われました。

夏から、コンタクト合わないと感じていたそうです。

見える画像がどうやら、実際とずれて見えるようです。

とにかく見づらく、そのせいもあるのか、肩も首も痛いらしい。


医師に相談しても、聞いたことがないらしく、病気との因果関係は不明・・・

そんなわけでメガネのレンズを作り変えました。

コンタクトは手が使えないため、仕方なし卒業です・・・  


Posted by マリン at 23:41Comments(0)ALS 病気の進行

2009年10月17日

10月16日 セカンドオピニオン

セカンドオピニオンは重要グッド

いまや、こちらの先生に委ねています。 

なぜなら、生活に関わる具体的な説明を、細かく、そしてはっきりとしてくれますぐー

本日は「奥様とも・・・」ということで、初めてお会いいたしましたが、

聞いていたとおり、奥歯に物が詰まった言い方はしません。

現実問題をシビアに、リアルに説明して下さいました。



本日は、「人口呼吸器を付けるか、付けないかで、今後の治療方針が変わる」というテーマ

呼吸器を付けると・・・、しゃべれなくなるが、

ALSの場合、内臓と意識障害はないので、目で反応するコミュニケーションツールを利用したり

文字盤を使い、コミュニケーションをとることが出来ます。


ドクターの前で、夫の口から意外な言葉が・・・

「それも選択かな・・・」

思わず耳を疑いました。夫の口から、その言葉を聞くとは思わなかったのです。

以前から「植物人間になるなら、延命治療は望まない」と聞いていたからです。


あとで聞くと・・・私が伝えた娘の一言でぐらついたそうです。

「パパが動けなくなって、機械で呼吸して、ベットで寝てるだけでも、生きててほしい?」

「・・・は、生きててほしい」



ALSの場合、全身動かなくなり寝たきりになっても、意識があるから、植物人間とはちがう。

遺漏で食事を取り、呼吸器を付ければ、あと30年生きることも可能だそうです。

その現状に本人が嫌になっても、本人は体が動かないから、付けた呼吸器は外せない。

介護に疲れた家族が、見捨てて、病院や施設に置き去りにする現実問題。

呼吸器を止めた家族が、裁判で「有罪」になっている、日本の法と人権の問題。

リアルな問題が、ドクターの口から次々提示され、さすがに考えさせられました。



家族で話し合って、決めておいて下さいって・・・

  


Posted by マリン at 22:49Comments(0)ALS 病気の進行

2009年07月17日

7月17日 遺伝子検査の結果

検査結果・・・陰性だったそうです。

え??なんで??ほんとに??びっくりうそ~って感じです。

お父さんも、叔父様も筋萎縮症で他界してるのは関係ないの?

お父さんは発病から(足の筋萎縮)12年後。

お父さんの実の弟である叔父様は、お箸を落とした日から(右手の筋萎縮)1年。

実は、主人の父親のお母さんも、細くなって亡くなったという家族暦の記述がカルテにあります。

遺伝だと思い込まずにいられないですよね・・・

でも「陰性」ZZZ

  


Posted by マリン at 23:05Comments(0)ALS 病気の進行